この療法で問題は何かといったら、やっぱりね、効果が曝露療法とは違うのね。患者さんは確かに楽になって帰っていくのね。そして副作用はゼロ。当たり前よね。ツボを叩いているんだもん(笑)。楽になって帰っているのかもしれないよね、血流が良くなりました、みたいなね(笑)。だから副作用は全然ないわけ。本当に副作用はない、これが自慢なのね。そして確かにトラウマにも効きます。交通事故のトラウマから何から。ただし、患者さんが曝露療法の時とは違うのね。何かが違うの。やっぱりね、その何かコアにある、真ん中にあるものが取れていない、というのが解るわけ。そしてその真ん中にあるものに触ろうとするのだけれども触れない。何故かというと共感がTFTにはないから。共感できないのね。「叩きましょう」ということだからね(笑)。ちなみに心的外傷の時はだいたいトントントントン10回ずつ叩いていくのだけれども、眉頭→目の下→脇の下→鎖骨下の順番で叩く。見捨てられ不安の時は、眉頭→鎖骨下の順番。よく覚えているなー僕。すごいね(笑)。何故かと言ったら、僕これのトレーナーの資格を持っているんだ(笑)。治療者をトレーニングする資格を持っているのね。手の甲を叩きながら目を閉じて開けて、一回転、反対側に一回転、ハミング、1.2.3.4.5、もう一度ハミングという感じで同じパターンを必ず繰り返す。これやると効きます。ただし、やっぱり統合というところに関してはイマイチ。確かに患者さんが今悩んでいることに対しては触れることができるわけね。でも、それって氷山の一角だということを知っているわけじゃない。本当はこっち(氷山の下の部分)をやりたいわけね。この下。患者さんが言っているよね、「親に虐待されました」云々って。これは意外と、この不快な感覚から逃れるために言っていたりするわけ。実は親なんて関係なかったりするわけよ、意外と。この下を見ると。親は全然関係ないじゃない、ということが、氷山の下の部分を見ていくとわかってきたりするのね。うわー、これがトラウマだったんだ、ということが出てきたりするわけ。だから、じゃあ親のことをやりましょう、といって「お父ちゃんが気になる・トントントン」とやっていて、空しさを感じるわけね(笑)。そうじゃないだろうというね。ただ、TFTのいいところは、それで楽にすると、次のトラウマが確かに出てくるわけ。次のトラウマ、次のトラウマ、と、コアに達するまで出てくる。それをやっているうちに段々段々セラピストのあざが増えていくわけね(笑)。叩き続けるから(笑)。前はここら辺にすごいあざがあったんだ(笑)。そんなことがあって、やっぱり効果というものが曝露療法とは違うと。
 あとはもう一つは、その療法をやっているもとのおじさんが、すごくお金にケチなところがあったのね。マスターになるためには1千万払え、みたいなね。何でそんなに金儲けしたいの?と。確かに僕もお金は欲しいけれどもね(笑)。でもオープンソースにしないと、オープンソースというのは、その、肝心なところを教えない限りは、やっぱり療法というものは極められないのね。だからちょっと違うのかなと思ったのね。そして、そのおじさんが1千万とか言っていることを、そんなことは僕はとっくに見つけたわ、みたいなね(笑)。実はそんなに難しいことではないことを、大げさに言っていたりするわけね。そういうのはちょっと違うのかなと思って、実はそれもまた捨てちゃったのね。またすごくひんしゅくをかっているんだけれどもね(笑)。抗議の電話とかきたりするんだけれどもね(笑)。すごい怒られたこともあるけれどもね。「何で捨てちゃったんですか!」みたいなね(笑)。だって効果が違うんだもん(笑)。納得がいかないんです、僕自身。
そして僕自身はまた曝露療法に戻るわけね。そして曝露療法をやってという形で、また苦しみの世界に戻るわけ。
TFTの場合は、でもセラピストの技量というのは全くいらないの。本当にどのセラピストがやっても同じ。でもやっぱり、僕は面接代12,000円の質というものを考えるわけね。12,000円の質とは何か、ということをいつも考える。だから、表面だけ問題取って12,000円というのは、それはちょっと違うんじゃないかと思うのね。やっぱりコアに達してこそ12,000円の価値があるんじゃないかと。ケチだからね、僕も(笑)。12,000円あれば何が喰えるかとか考えるわけね(笑)。12,000円あったら寿司たらふく食えるだろうなーとか(笑)。あの満足感とこのツボ叩き比べたら、寿司のほうがいいだろう、みたいなね。やっぱりそこにかえってしまうわけね。TFT療法だとやっぱりセラピストが疲れていないのね。セラピストが
しおれていないわけね。セラピストがボロボロになる療法というものはやっぱりこれは曝露療法しかないわけね。そして、またそこに戻るわけ。もういいかげん逃れられないのよね。そしてまたやり続けていたわけ。
そしてあるとき、おもしろいことに気がついた。