あみだくじの選択肢は少ない方が好き!

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あみだくじの選択肢は少ない方が好き!

大嶋信頼ブログ 緊張しちゃう人たち

2018/05/19 あみだくじの選択肢は少ない方が好き!

素敵な花束をいただきました。

ピンクにベージュが混じっているのは、なんと「アンティーク色のバラ!」なんですって。

アンティーク色のバラが入っていると、全体の色が生きるような気がします(不思議~!)。

 

さて、「今を生きる!」ということができちゃえば「先のことなんか考えな~い!」となります。

 

過去の嫌なことに捉われたり、将来のことが不安になったりしないで「今を生きる」ができるならば。

 

あの女性のように「スポーツ選手がどんどんやってくる~!」と求めていたものが向こうからやってくる。

 

「ばったりと憧れのロック歌手に道で出会って、誘われちゃう!」となります。

 

考え方としては、「今を生きる」をしていれば美味しい人生が訪れるのに、私は「こうなったらどうしよう?」とか「こんな風になったらムカつく!」と勝手に不安な状況、ムカつく状況を考えてしまって「え?それって私が作り出していたの?」となってしまうということ。

 

なぜなら、人って神と同じように作られているから「現実を創る!」という能力を兼ね備えている(「う!便利!」じゃないか!神も大変ですよね!)。

 

「あまり余計なことを考えない!」という人が、「え?なんであの人ばかり美味しい人生になって!」という具合に、その人に様々なチャンスが巡ってきて、そして、本人の能力がものすごく有効に活かせているように見えちゃいます(不公平ジャ~!)。

 

私が職場にいたら、私の脳は「モジャモジャの神経ネットワーク」ですから「斜めから物事を見てしまう!」ということをしてしまいます。

 

普通の人の脳だったら、ちゃんと神経のネットワークが刈り込まれていて、あみだくじの線が2、3本だから「仕事が楽しい!」と「お客さんとのやりとりはエキサイティング~!」とか「私って、キーボートを打つ速度が速い~!」という具合のシンプルな選択肢が。

 

私の場合、モジャモジャの神経ネットワークだから

  「上司は私のことを嫌っているのでは?」とか

  「会社の業績が悪いから、給料を下げようとしているのかも?」や

  「上司は意地悪をして私を陥れて自分だけが会社から認められるようにしている」

  「上司が嫌な仕事ばかり振ってくるのは私をバカにしているから」

  「上司はパワハラをして私でストレスを発散している」

  「上司は器が小さい人で、私はこの会社では絶対に生かされない」

  「上司は私をダメな社員にして、みんなのストレスのはけ口にしている」

  「上司は本当は私なんかと働きたくないと思っている」

こんな上司の考えているかもしれないことが20個、30個、いや、もっと私の脳のネットワークの中に次から次へと湧いてきちゃって「さあ!どれが正解?」となっています。

 

それだけじゃなくて、これと同じような感じで「同僚編」というのがあります。

  「同僚は、私のことを気持ち悪がっている」

  「同僚は、私のことを完全に見下している」

  「同僚は、私のことをバカにしているから、あんな適当な挨拶しかしない」

  「同僚とは、絶対にうまくやることができない」

  「必ず同僚に裏切られて陥れられる」

  「今のあの視線は私を陥れようと同僚が狙っている目だ」(ヒエ~!)

こんなのが30個、40個、私の思考のバックグラウンドで流れています。バックグラウンドでというのは、意識には上がってこないけど、掘り下げていくと、こんな思考が私の脳の中で蠢いていて、それを簡単に掴むことができちゃいます。

 

将来編では、                 

  「この先、この会社では給料が上がらず私は経済的に苦労する」

  「誰からも仕事を認めてもらえず、この会社で時間だけ無駄にしてしまう」

  「いつか、仕事でクレームが来てクビになってしまい、どんどん落ちぶれていく」

  「会社で怒りを爆発させちゃって、問題になり人生を破綻させてしまう」

  「会社の人に陥れられて、精神的にうつ状態になり路頭に迷う」

  「どんどん失敗していって、人から虫けらのように扱われる」

 

上司、同僚、将来、通勤時に出会う人、家族、などこんな不快な思考が渦巻いていて「ひえ~!」となっています(病んでいる~!私は病んでいる~!ヒエ~!)。

 

私は、これを「最悪を想定しておけば、どんなことが起こっても対処できるから、こんなふうに不幸なことを考えている」と思っていました。

 

でも、面白いのが「さあ!このたくさんの不幸な選択肢のうちでどれが起きる?」と辿っていくと、「あ~!仕事でお客さんからクレームが~!」となると「将来破綻する~!」というのが「正解!」になってしまうんですね。

 

そもそも、この複数のあみだくじのゲームが間違っていますから。

どれを引いたって「不幸」になるしかないんですから。

 

不幸を先に予測しておくことで「それを回避できるかも?」と思っているから、これらの選択肢を常に考えて嫌な気分になっている、と考えていました。

 

「え?それって違うの?」と過去の自分がショックを受けています。

 

「え?それって脳の神経ネットワークが「イエス」で適切に刈り込まれていないから、嫌なことばかり浮かんでくるの?

脳内で絡み合っている神経同士が干渉し合って作り出している幻想なの? ウソ~! まじで!

 

「え?たくさんのことを先に考えておけば、その場で対処できると思っていたけど、なに?たくさん選択肢がありすぎるから、迷って選べな~い!となっちゃうから、やるべきことがちゃんとできなくて、どんどん想定していた不幸が現実になっていっただけ?」と明らかにムカついてる過去の私がいます。

 

確かに、あみだくじが3本の人間は迷いが少ないですよね。

最悪のあみだくじが100本も200本もある私は「どれを選んだらいいのかわからな~い!」と選ぶのに時間がかかって「あーあ!タイミングを逸してしまって怒られる!」となったり「あーあ!不幸を選ぶのが面倒くさくなってやるべきことをやらないで、みんなから軽蔑される!」という具合になっていたんですね~!

 

でも、これって、自分で考えようとしていているわけではなくて、常に自分の頭の中ではバックグラウンドでこのような不幸の想定がなされていて、想定だけで「なんで自分がこんな目に合わなければいけないんだ!」とムカついてしまっています。

 

自分の意志の力とかじゃなくて「脳の神経ネットワークがちゃんと剪定されていないから」脳の神経同士が干渉してこのような不幸な思考が泉のように湧いて来ちゃいます!

 

過去の私が「だったらどうすればいいねん!」とちょっと怒り気味に私にぶつけてきます。

 

「御意!」を言っていればいい!と過去の自分に伝えます。

 

「え?御意ってなによ?」

 

上司から言われたこと、同僚からのいろんな嫌な話に対して「御意!」とただひたすら聞いていればいい。

 

過去の自分は「だから、御意って何よ!」と質問して来ます。

 

「御意」って「何も考えないで、相手の言っていることに“イエス”と言っている感じ」と伝えます。

 

すると「そんな、何も考えないで”イエス”と言ったら、いいように相手に利用されちゃって不幸になるじゃん!」と過去の私が口を尖らせながら言っています。

 

「御意!」と相手の言ってることにいちいち反応しないで“イエス”と言ってしまうと、あんたの脳のモジャモジャした神経ネットワークが刈り込まれて、不幸な選択肢がどんどん少なくなっていくんだって!

 

過去の自分は「脳の神経ネットワークを刈り込んじゃったらバカになるじゃん!」と不満そう。

 

天才で孤独で不幸になるか、アホで幸せになるのか?どっちがいい?と過去の自分に究極の選択を迫ります。

人がわからないことがわかっても、ちっとも幸せになれないし、どんどんみんなから疎外されて苦しいことになっていたことを知っていたから。

 

「だったらやってみるよ!」と過去の私が言います。

 

上司から「なんでお前は指示通りにちゃんとできないんだ!」と言われた時に、以前の自分だったら「だって!あなたがコロコロ方針を変えるからでしょ!」と頭の中で反論していました。お!これをやめて「御意!」と頭の中で叫ぶだけでいいんだ!と思っている私がいます。

 

頭の中で「御意!」と叫んだ時に、上司から罵倒されている言葉に「うん!」と大きくうなづき上司の目をキラキラとした目で見ている自分がいたんです。

 

すると「あれ?御意!と言っていると余計なことを考えないでいいかも!」とすっきり感があります。

 

それだけじゃなくて頭の中で「御意!」と言いながら、うなづいているだけなのに、上司の怒りはすぐにトーンダウンして「いいか!次からちゃんと指示通りやるんだぞ!」と言った時に「御意!」と大きくうなづきます。

 

すると上司が「おい!一緒に食事に行くか?」と優しく誘ってくれるじゃないですか~!

 

なんなんだ~これは~!「御意!」。

 

食事に行った時も「いいか!仕事とはな!」と上司の説教と自慢話が始まります。以前の自分だったら「面倒くせえな~!」と思いながら聞いていて「ちっとも飯が食えないじゃないか!」と心の中で文句を言っていました。

 

そんな話にも「御意!」と心の中で叫んでいると、うなづき加減が以前と違っている自分がいます。そして、明らかに「御意!」を言っている方が自分の目の輝きが違うのがわかるんです。アホのキラキラしたあの目になっているかも!と「御意!」を上司の自慢話に合わせて唱えている自分が思っています。

 

すると上司が「おい!いつもそんな安いものばかり注文しないで高いものを食べなさい!」と勧めてくれるじゃないですか!

 

「え~!ケチで意地悪な上司が!」と思いそうになったのですが「いけない!いけない!御意!」だったと思い「御意!」と言って高いものを注文すると、上司は嬉しそうに私がそれを食べるのを見ながら「お前には期待しているんだからな!」と言われて「御意!」と頭の中で答えます。

 

「え?こんなに美味しい人生なの?本当は?」

 

今までなんだったの~!という具合になるんですね。

 

感の鋭い過去の私は「あれ?もしかして、本を読むときでも“御意!”でやれば面白いことがあるのかも?」と気がつきます。

 

これまで本を読むときは「こんなくだらないことを言って!」とか「こんなのやったって意味ないじゃん!」と完全に斜めから見てしまっていました。

 

それを「御意!」と言いながら読んでいたら「あれ?結構この人面白いことを言っている!」となって来ます。

 

これまでは「人の思考に洗脳されたり感化されたら大変なことになってしまう!」と思って斜めから読んでいる、と思っていました。

「あれ?批判的に読んでいたら、全然自分の身になっていなかっただけかも!」と思ってちょっとびっくり。

 

だって、これまで「本を読んでも全然内容を覚えていない!」となっていたのが「御意!」と繰り返しながら読んでいたら「頭に内容が残っている!」となって、私の「記憶力がない!」という部分が解消されて「あれ?取り込んだ知識を自由に使える!」となっていました。

 

なに?「御意!」でシナプスを刈り込んだ方がアホになると思っていたのに、逆にスムーズに情報が出し入れできるから「シャープになるんじゃん!」とい頭のモヤモヤが晴れた自分が感動しています。

 

なんでもっと早く教えてくれなかったのよ~!と口を尖らせている自分。

 

だから、脳のメカニズムって最近になって解明されたことだから「御意!」で受け入れてね!と明るく答える私(完全にアホになっているやないか~!)。

 

なに、あの不幸の思考って、本当にシナプスが刈り込まれていなかったから、自動的に湧いて来ていたもので、自分で作り出していたものじゃないんだ!とびっくりしている自分がいました。

 

そうなんだよ!「御意!」でシナプスが刈り込まれていったら、嫌な思考ってあまり湧いてこなくなるでしょ!

 

だから、早く言ってよ~!としつこい私。

 

ほら!そこで「御意!」でしょ!

 

「御意!」と笑顔になる私は脳のあみだくじの選択肢がどんどん少なくなって自由になって行く。

 

(つづく)

 

レビューを書いてくださってありがとうございます。

みなさんのレビューを読むときに、私は皆さんとそしてレビューを読んで笑っている師匠の脳に繋がって「あはは~!」と笑いながら危ないことを書いちゃいます。

みなさんの脳はすごいです。レビューでびっくりしています。

お師匠様はたぶん喜んでいます。

スクリプトでどんどん目が出て花が咲いている姿を眺めながら。

そして、先に一面に広がる美しい花々を見据えて、楽しく踊ってくださっている姿が目に浮かぶようです。

 

大嶋 信頼

 

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