モーツアルトとサリエリは孤独だったかも?

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モーツアルトとサリエリは孤独だったかも?

大嶋信頼ブログ 緊張しちゃう人たち

2018/04/03 モーツアルトとサリエリは孤独だったかも?

綺麗なお花をいただきました。あまりにも花びらが繊細で輝いていて「え?造花?」と思うぐらい美しかったです。

 

 

「宇宙人のような感覚」とは、周りの人と交われない感覚。

 

そして、自分たちが宇宙人であることを明かしてはいけない感覚。

 

ここまで説明するとわかるかもしれませんが、アルコール依存症の家庭で育ったり、宗教の家庭で育ってしまうと「他の人とは違う!」という感じになり「自分の正体をあかせない!(あかせない、ってバラせないこと)」となります。

 

そうするとどうなるかというと、まあ、普通に考えたら、学校や職場に行っても「一体感がない!」となりますわね。

 

一体感がないと、と当然「孤独」になるわけです。

 

孤独になると「発作が起きてまうやろ~!」となって、睡眠時無呼吸症候群のような症状が寝ている時に起きてしまいます。

 

すると、注意欠陥多動性障害(音や匂い、そして感覚の神経が過敏、落ち着きがない、集中ができない、やることができない)の症状が酷くなります。

 

酷くなればなるほど「他の人と違う!」という孤独を感じることになりますから「発作がひどくなってまうやろ~!」となるわけなんですよね。

 

「孤独」で発作が酷くなる、というのは興味深い現象です。

 

でも、これって意外と単純な仕組みかもしれません。

 

脳は電気信号で動いています。

 

ストレスが溜まれば溜まるほど脳に帯電しちゃいます。

 

ある人とコミュニケーションを取っていて「あ!この人と話が合う(波長が合う)」という状態は「脳の電気の周波数が同じだからお互いの波で打ち消しあって波が凪になった!」という感じ。

 

周波数が合わない人と一緒にいると「お互いの波が干渉し合って電気が増幅して嵐になった!」というイメージでどんどん脳に電気が帯電しちゃうんです。

 

でも、この「周波数が合う、合わない」は意識によって作られる“幻想”なんです。

実際に「この人とは合わない」という意識が作り出す幻想によって電気が発生するのは「嫉妬の発作」からなんですよね。

 

嫉妬の発作で破壊的な人格に変身してしまって「怒り」で脳にどんどん電気が帯電する!となり「どんどん周りの人と合わなくなる!」という現象が起きちゃうんです。

 

ちなみに脳に電気が帯電すればするほど、相手の嫉妬の発作を誘発して「嫉妬されちゃう!」という現象が起きます。

ほら!体に電気が帯電しやすくなっていると「バチ!」って静電気が起きやすくなるでしょ。あれと一緒で「こんにちは!」と挨拶をした瞬間に「ビビビッ!」と相手の脳に嫉妬の発作を起こさせたやないか~!となってしまう(ひえ~!)。

 

ちなみに孤独になって脳に帯電することが「悪いことなの?」というと、「良い とか 悪い」ってないんですよね。

 

例えば、モーツアルトなんかは「天才」でしたね。

 

モーツアルトとサリエリを描いた昔の映画で「アマディウス」というのがありましたが「天才」というのは孤独なんだな~!とそれを見て思ったものです。

 

サリエリは、自称モーツアルトのライバル、という感じで映画の中で描かれていましたが、モーツアルトの才能に嫉妬する人!という感じで役者さんが見事に演じていました。

 

そうなんです。

 

にこやかな笑顔で天才モーツアルトに接するのですが、影では破壊的人格になって「こいつは間違っている!」とか「こんな奴が世の中で許されるわけがない!」となるわけです。破壊的人格に変身している時は「相手を陥れてやろう!」と思ってるわけじゃないんです。「正しいことをしてやろう!」と思って悪口とかを周囲に吹き込んで陥れていくわけなんですよね。

 

一方、天才のモーツアルトは、周囲からの嫉妬の攻撃を受けておちゃらけた人格になります(まあ、映画の描写ですけど)。

映画の中でサリエリとの対比が面白いのは、サリエリの破壊的な人格と、モーツアルトの道化師のような人格でした。

 

そして、最後のシーンでモーツアルトに対する嫉妬に満ち溢れていたサリエリが瀕死のモーツアルトの枕元で、モーツアルトの最後の曲であるレクイエムをサリエリが書き取るんです。嫉妬で破壊したい、と思っていた相手の最後の天才的な作品をサリエリが完成させる、という皮肉があの映画の芸術的センスなのかな。

 

ですからモーツアルトのように「孤独」で脳に帯電していたら「もしかしたら芸術的な才能を発揮できるかもしれない!」ということが、この映画から読み取れるんですよね。脳の帯電は脳神経のネットワークを過剰に動かしますから「他の人にわからないものがわかり、見えないものが見える」という可能性があるんです。自分の感覚だけを信じてそして、それを表現していけば!という感じ。

 

だから、孤独って一概には悪いもの、とは決めつけられませんね。これまでの多くの有名な芸術家はみんな「孤独」でしたから。

周囲の嫉妬によって脳内に帯電した電気がエネルギーとなり、そして美しいものを生み出す可能性が。

 

そして、嫉妬の発作で脳が帯電したサリエリも映画の中では「嫉妬が悪いわけじゃない!」という感じになりますね。

だって、最後は、モーツアルトの曲を一緒に完成させているわけですから。なんとも皮肉な結末ですが「嫉妬」は悪ではありません。

 

ある意味で、周囲の嫉妬の電気がモーツアルトの帯電に役立って、そしてあの美しい音楽を作り出していた、ということも考えられるわけです。

だから、嫉妬もOK。

 

モーツアルトのあの曲を生み出させたのは、周囲の嫉妬のエネルギーなのかもしれません。

でも、それがなければ、また違った曲が生み出されていたのかも。

 

そんなことを考えてみると面白いですよね。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

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