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〒105-0021 東京都港区東新橋2-16-3カーザベルソーレ4F
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唐揚げ弁当が食べたい
「意識」と「無意識」があって、無意識って一般的に言ったら「ドロドロしたもの~!」とか「おどろおどろしいもの!」なんていう印象があるのは、フロイトおじさんのおかげ。
それとは違う無意識さんの世界を見せてくれたのが、催眠のお師匠さんで「意識には限界があるけど“無意識”には限界がありません!」とまるでマジックのような世界を見せてくれたんです。
あんなに頑固で「私はちっとも変わりません!」、「催眠なんか掛かりません!」と思っていたのに「あれ?“変わらない”というのが意識だったんだ!」ということがわかってきます。
ミルトン・エリクソンがセミナーでお話をしていたら、頑固な参加者が「私は催眠になんかかかりません!」と手を上げて話をしたら、エリクソンが「では、なんであなたは手が下げられなくなっているのでしょう?」とその方にお伝えします。
自分の意思で手を上げていると思っていたら、すでにそれ自体が催眠状態だった、というのは非常に興味深いエピソード。
私自身もお師匠さんに「催眠なんかで人は変わるわけがない!」と思っていたのに、それが「催眠には掛かりません!」と手を上げて下げられなくなっていた人と同じだった、という面白い体験があります。
「変わらない」という現実は確かにありました。
意識できる範囲では確かに何も変わっていなかったんです。
でも、その意識できる範囲を超えた無意識の世界では、ものすごいことが起きていたんです。
この「無意識」って身につけちゃうと「ものすごく面白い!」となって「限界がありません!」となります。
でも、正直な話、この無意識自体を操れる人が職人さんみたいで、あの天才バッターでのちに野球監督になったあの方のように「え~とですね!無意識に入るのには、そこでビュ~ん!とですね~、意識を思い切って振り抜けばいいんですね~!」という感じ。
「ビュ~ん!」ってなんのこっちゃ!
皆さんが応援してくださっているおかげで、最近、いろんな本が書けるようになって、ある出版社から「そっちへ行きたくないのに行ってしまう」悪い癖を治す本を書いて、と依頼されました。
このタイトルを聞いた時に
「あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩き回っていた。しかし年を取ってからは、自分の手を伸ばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯をつけて、行きたくないところへ連れて行くであろう」
というあの有名な方の言葉が頭に浮かんできたんです。
それで「ものすごく興味があるんですけど」となりました。
多分、普通の人がこの言葉を聞いたら「若い頃は好き勝手やっていたけど、年を取ったら、自分で好きなことはできなくなるぞ~!」という教訓のように思えてしまうのかもしれません。
でも、私がこの中に見たのは「行きたくないところに連れて行くであろう」が不快なことではなくて「無意識に一番近い状態なのでは?」という希望のようなものを感じたんです。
それが昨日の受験生の話につながります。
ボスの指導を受けていた時は「ボスの意見は間違っている!」とか「正しい!」なんて判断はしません。まさに「ほかの人があなたに帯をつけて、行きたくないところに連れて行くであろう」のそのままの感じ。
その当時は、自分には自分で判断するカウンセリングの能力はない、と自覚していました。
だから、ボスに従うしかない、とそのまま従った時に「自分が想像もしなかった無意識の世界を垣間見ることができた!」となります。まさに、あの家庭内暴力の親子と一緒に私は無意識の世界を垣間見ていたんです。
ボスがどんな指導の仕方をしても「御意!」と言って実行します。
ボスの指導ですから、自分の責任は一切存在しない自由な世界を私は感じていたんです。
「御意!」で私が「正しい!」とか「間違っている!」の意識的判断を超えた時に、無意識が働き「すごい!」という世界を見せてくれたんです。
それが結局「意味がない」とか「自分には無理」と思っていた、勉強を無理矢理やらされて「成績が取れないと落ちる!」という不快な状況に入れられた大学時代の話とつながります。
「意味がない」とか「自分には無理」というのが私の意識です。
それを超えさせてくれる環境に連れて行かれたからこそ、私は無意識の軌跡を目撃することができました。
少なくとも中学の恩師は多分、信じていなくて「学歴詐称やろ!」と思われています(それぐらい勉強ができませんでした)。
ここで「簡単に無意識の力を使えるように書け!」という声が頭に響いてくるので答えだけ書いちゃいます(幻聴か!)。
「無意識さん」、「支配されちゃう人たち」、「人に振り回されちゃう」や「行動できない」の本に書いてある「心に聞く」が「行きたくないところに連れて行くであろう」につながり無意識の世界に導いてくれるんです。
昨日も「心よ!唐揚げ弁当を食べていい?」と質問をします(これはマジな昨日の話です)。
すると「ダメ~!」と言われて「ひえ~!お腹が空いているのに~!」と本当にイライラします。
グラノーラバーとヨーグルトだったらいい、と心に言われて食べたら、頭がスーッとして、それまで見えなかったものが見えてくるから面白いんです(欧米か!)。
そうなんです。
心に聞いて、そのまま実行してみるって、自分の意識とは反することがあったりします。
意識で判断をするんじゃなくて、心に聞いて、というのが「行きたくないところに連れて行くであろう」であり、無意識の世界だったりするんです。
意識ではそれを実行するのは「怖い!」という感覚を与えてくれます。
それほど、無意識の世界はエキサイティングなんですね~!(淀川さんか!って古いか!)
(つづく)
アマゾンの「無意識さんに任せればうまくいく」(PHP文庫)のレビューを書いてくださってありがとうございます。
無意識というものに興味を持ちました、と書いてくださってありがとうございます。催眠療法の意識的な常識を超えた、お師匠さんと繋がって書いた本なので「催眠は誰かにかけてもらわなければいけない」というのが必要なくて、中に書いてあるストーリー自体が催眠に誘ってくれて、知らず知らずのうちに無意識さんの世界を垣間見させてくれる、という感じになっています。でも、今回のレビューを受けて、前回と今回のブログの内容になっていると思います。「無意識の世界を体験するためには、具体的にどうしたらいいのか」ということがおかげさまで見えてきた気がします。これからが楽しみです。書いてくださってありがとうござます。
感謝!!
大嶋 信頼
24/11/08
24/10/18
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「意識」と「無意識」があって、無意識って一般的に言ったら「ドロドロしたもの~!」とか「おどろおどろしいもの!」なんていう印象があるのは、フロイトおじさんのおかげ。
それとは違う無意識さんの世界を見せてくれたのが、催眠のお師匠さんで「意識には限界があるけど“無意識”には限界がありません!」とまるでマジックのような世界を見せてくれたんです。
あんなに頑固で「私はちっとも変わりません!」、「催眠なんか掛かりません!」と思っていたのに「あれ?“変わらない”というのが意識だったんだ!」ということがわかってきます。
ミルトン・エリクソンがセミナーでお話をしていたら、頑固な参加者が「私は催眠になんかかかりません!」と手を上げて話をしたら、エリクソンが「では、なんであなたは手が下げられなくなっているのでしょう?」とその方にお伝えします。
自分の意思で手を上げていると思っていたら、すでにそれ自体が催眠状態だった、というのは非常に興味深いエピソード。
私自身もお師匠さんに「催眠なんかで人は変わるわけがない!」と思っていたのに、それが「催眠には掛かりません!」と手を上げて下げられなくなっていた人と同じだった、という面白い体験があります。
「変わらない」という現実は確かにありました。
意識できる範囲では確かに何も変わっていなかったんです。
でも、その意識できる範囲を超えた無意識の世界では、ものすごいことが起きていたんです。
この「無意識」って身につけちゃうと「ものすごく面白い!」となって「限界がありません!」となります。
でも、正直な話、この無意識自体を操れる人が職人さんみたいで、あの天才バッターでのちに野球監督になったあの方のように「え~とですね!無意識に入るのには、そこでビュ~ん!とですね~、意識を思い切って振り抜けばいいんですね~!」という感じ。
「ビュ~ん!」ってなんのこっちゃ!
皆さんが応援してくださっているおかげで、最近、いろんな本が書けるようになって、ある出版社から「そっちへ行きたくないのに行ってしまう」悪い癖を治す本を書いて、と依頼されました。
このタイトルを聞いた時に
「あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩き回っていた。しかし年を取ってからは、自分の手を伸ばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯をつけて、行きたくないところへ連れて行くであろう」
というあの有名な方の言葉が頭に浮かんできたんです。
それで「ものすごく興味があるんですけど」となりました。
多分、普通の人がこの言葉を聞いたら「若い頃は好き勝手やっていたけど、年を取ったら、自分で好きなことはできなくなるぞ~!」という教訓のように思えてしまうのかもしれません。
でも、私がこの中に見たのは「行きたくないところに連れて行くであろう」が不快なことではなくて「無意識に一番近い状態なのでは?」という希望のようなものを感じたんです。
それが昨日の受験生の話につながります。
ボスの指導を受けていた時は「ボスの意見は間違っている!」とか「正しい!」なんて判断はしません。まさに「ほかの人があなたに帯をつけて、行きたくないところに連れて行くであろう」のそのままの感じ。
その当時は、自分には自分で判断するカウンセリングの能力はない、と自覚していました。
だから、ボスに従うしかない、とそのまま従った時に「自分が想像もしなかった無意識の世界を垣間見ることができた!」となります。まさに、あの家庭内暴力の親子と一緒に私は無意識の世界を垣間見ていたんです。
ボスがどんな指導の仕方をしても「御意!」と言って実行します。
ボスの指導ですから、自分の責任は一切存在しない自由な世界を私は感じていたんです。
「御意!」で私が「正しい!」とか「間違っている!」の意識的判断を超えた時に、無意識が働き「すごい!」という世界を見せてくれたんです。
それが結局「意味がない」とか「自分には無理」と思っていた、勉強を無理矢理やらされて「成績が取れないと落ちる!」という不快な状況に入れられた大学時代の話とつながります。
「意味がない」とか「自分には無理」というのが私の意識です。
それを超えさせてくれる環境に連れて行かれたからこそ、私は無意識の軌跡を目撃することができました。
少なくとも中学の恩師は多分、信じていなくて「学歴詐称やろ!」と思われています(それぐらい勉強ができませんでした)。
ここで「簡単に無意識の力を使えるように書け!」という声が頭に響いてくるので答えだけ書いちゃいます(幻聴か!)。
「無意識さん」、「支配されちゃう人たち」、「人に振り回されちゃう」や「行動できない」の本に書いてある「心に聞く」が「行きたくないところに連れて行くであろう」につながり無意識の世界に導いてくれるんです。
昨日も「心よ!唐揚げ弁当を食べていい?」と質問をします(これはマジな昨日の話です)。
すると「ダメ~!」と言われて「ひえ~!お腹が空いているのに~!」と本当にイライラします。
グラノーラバーとヨーグルトだったらいい、と心に言われて食べたら、頭がスーッとして、それまで見えなかったものが見えてくるから面白いんです(欧米か!)。
そうなんです。
心に聞いて、そのまま実行してみるって、自分の意識とは反することがあったりします。
意識で判断をするんじゃなくて、心に聞いて、というのが「行きたくないところに連れて行くであろう」であり、無意識の世界だったりするんです。
意識ではそれを実行するのは「怖い!」という感覚を与えてくれます。
それほど、無意識の世界はエキサイティングなんですね~!(淀川さんか!って古いか!)
(つづく)
アマゾンの「無意識さんに任せればうまくいく」(PHP文庫)のレビューを書いてくださってありがとうございます。
無意識というものに興味を持ちました、と書いてくださってありがとうございます。催眠療法の意識的な常識を超えた、お師匠さんと繋がって書いた本なので「催眠は誰かにかけてもらわなければいけない」というのが必要なくて、中に書いてあるストーリー自体が催眠に誘ってくれて、知らず知らずのうちに無意識さんの世界を垣間見させてくれる、という感じになっています。でも、今回のレビューを受けて、前回と今回のブログの内容になっていると思います。「無意識の世界を体験するためには、具体的にどうしたらいいのか」ということがおかげさまで見えてきた気がします。これからが楽しみです。書いてくださってありがとうござます。
感謝!!
大嶋 信頼