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いつのまにか大人に豊かな金持になる
セミナーが無事終わりました!!
参加してくださった皆様、ありがとうございました~!
楽しかったです。
また、お会いできるのを楽しみにしております。
お金持のスクリプト(怒りを脳に帯電バージョン)の解説の続き。
ある方とお話をしていて「どうしていい年齢なのに“自分は大人”って思えないんでしょうね」という話題になりました。
昔の文学を読んでいると、結構若い年齢なのに「大人!」という感覚がちゃんと定着しています。
自分自身と比べてみると「全然私って大人という認識がないかも!」と思うんです。
「どこか成長していないような」
いつまでも「大人ってずるい!」という感覚から抜けないような。
「どうして何でしょうね?」という話で、その方は「昔の人のように死の体験をしていないからなんじゃないですかね」とおっしゃった。
昔の人の周りでは人がたくさん亡くなっていく。
現代では「その臨終の時に相手の手を握って」という体験をすることがほとんどなくなっている。
人の“死”というものが、その人を成長させてくれて、脳に帯電した電気を解き放ってくれるのでは?
何も持たずに旅立っていく大切な人たちを見送っていると、自分がたくさんのものを「私のもの!」と抱えているのがバカらしくなっていく。
そして、私は、抱えていたものを自然と手放すことで“幼児”という檻の中から解き放たれて、自由に駆け回ることができるようになる。
やがて、老いて朽ち果てていく、この肉体を感じる時に、全ての怒りを手放して身軽になっていく。
様々な怒りから解放されて身軽になった私は様々なものを吸収していき、吸引力を高めていく。
怒りであふれていた私は、知識でもなんでも吸収しているようで、その怒りに邪魔されて十分に吸収しきることができなかった。
溜まっていた怒りが“死”を通じて“無”の世界へと吸い込まれていくと、私の中の通りが良くなり、たくさんのものを吸い込んでいく。
もうちょっと、ちゃんと解説すると、脳のネットワークは現代の科学で測定できるものじゃないから「光よりも速い!」と考え、そして、「時空を超える」と考えます。
過去にも未来にも、想いを馳せることで飛ぶことができます。
もし「臨死体験」というものが人を成長させてくれるのだったら、自分の臨終の時に想いを馳せれば、その時の自分に脳のネットワークで繋がることができます。
臨終の時の自分は、繋がってきた自分を見て優しく手を握ってくれます。
周りでそれを見ている人たちは「この人は夢を見ている」と思うのかもしれません。
でも、その時の私は「あ!来てくれたんだね!」と優しく手を握ってくれて、私がこれまで帯電して来た怒りをその手から全て吸い取って行ってくれます。
もう、何も必要ないのですから。
臨終の自分に帯電して来た怒りを吸い取ってもらって自由になった私は「あ!時空を超えて楽になれるのだったら、過去の自分の怒りを吸い取って自由にしてあげたい!」と思うのかもしれません。
教室の椅子に座って、一人だけ外を眺めていた自分を思い出して、その自分の手を優しく握って、臨終の時の自分へと中継していきます。
あの頃から今まで「無念」に感じていた、様々なことが全て臨終の私に吸い取られていき、幼かったあの自分と終わりの時の自分の間が一本の線で繋がります。
ものすごくショックなことがあって、稲妻が落ちたような感じになっても、その一本の線が終わりの時の自分につながって、まるでアースのように電気を地面へと流してくれます。
全て怒りの電気は、線を通じて地面へと流されていくので「帯電しない!」という無敵な状態になります。
怒りという電気で帯電していて何も吸収できなかった私が解放されてどんどん吸収できるようになり、そしていつのまにか「お金もどんどん吸い寄せてまうやろ~!」という感じになる、というスクリプト。
怒りを帯電して「悔しい!悔しい!」って地団駄を踏んでしまうのが子供だとすると「子供だったらお金持ちになれるわけがない!」は当たり前ですよね(最近、たまに違うケースがあるけど)。
怒りの電気が少なければ少ないほど大人、ということであれば、このスクリプトは有効なんです。
大人になって豊かな金持になる、その喜び。
そんな仕組みのスクリプトになっていました。
24/11/08
24/10/18
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セミナーが無事終わりました!!
参加してくださった皆様、ありがとうございました~!
楽しかったです。
また、お会いできるのを楽しみにしております。
お金持のスクリプト(怒りを脳に帯電バージョン)の解説の続き。
ある方とお話をしていて「どうしていい年齢なのに“自分は大人”って思えないんでしょうね」という話題になりました。
昔の文学を読んでいると、結構若い年齢なのに「大人!」という感覚がちゃんと定着しています。
自分自身と比べてみると「全然私って大人という認識がないかも!」と思うんです。
「どこか成長していないような」
いつまでも「大人ってずるい!」という感覚から抜けないような。
「どうして何でしょうね?」という話で、その方は「昔の人のように死の体験をしていないからなんじゃないですかね」とおっしゃった。
昔の人の周りでは人がたくさん亡くなっていく。
現代では「その臨終の時に相手の手を握って」という体験をすることがほとんどなくなっている。
人の“死”というものが、その人を成長させてくれて、脳に帯電した電気を解き放ってくれるのでは?
何も持たずに旅立っていく大切な人たちを見送っていると、自分がたくさんのものを「私のもの!」と抱えているのがバカらしくなっていく。
そして、私は、抱えていたものを自然と手放すことで“幼児”という檻の中から解き放たれて、自由に駆け回ることができるようになる。
やがて、老いて朽ち果てていく、この肉体を感じる時に、全ての怒りを手放して身軽になっていく。
様々な怒りから解放されて身軽になった私は様々なものを吸収していき、吸引力を高めていく。
怒りであふれていた私は、知識でもなんでも吸収しているようで、その怒りに邪魔されて十分に吸収しきることができなかった。
溜まっていた怒りが“死”を通じて“無”の世界へと吸い込まれていくと、私の中の通りが良くなり、たくさんのものを吸い込んでいく。
もうちょっと、ちゃんと解説すると、脳のネットワークは現代の科学で測定できるものじゃないから「光よりも速い!」と考え、そして、「時空を超える」と考えます。
過去にも未来にも、想いを馳せることで飛ぶことができます。
もし「臨死体験」というものが人を成長させてくれるのだったら、自分の臨終の時に想いを馳せれば、その時の自分に脳のネットワークで繋がることができます。
臨終の時の自分は、繋がってきた自分を見て優しく手を握ってくれます。
周りでそれを見ている人たちは「この人は夢を見ている」と思うのかもしれません。
でも、その時の私は「あ!来てくれたんだね!」と優しく手を握ってくれて、私がこれまで帯電して来た怒りをその手から全て吸い取って行ってくれます。
もう、何も必要ないのですから。
臨終の自分に帯電して来た怒りを吸い取ってもらって自由になった私は「あ!時空を超えて楽になれるのだったら、過去の自分の怒りを吸い取って自由にしてあげたい!」と思うのかもしれません。
教室の椅子に座って、一人だけ外を眺めていた自分を思い出して、その自分の手を優しく握って、臨終の時の自分へと中継していきます。
あの頃から今まで「無念」に感じていた、様々なことが全て臨終の私に吸い取られていき、幼かったあの自分と終わりの時の自分の間が一本の線で繋がります。
ものすごくショックなことがあって、稲妻が落ちたような感じになっても、その一本の線が終わりの時の自分につながって、まるでアースのように電気を地面へと流してくれます。
全て怒りの電気は、線を通じて地面へと流されていくので「帯電しない!」という無敵な状態になります。
怒りという電気で帯電していて何も吸収できなかった私が解放されてどんどん吸収できるようになり、そしていつのまにか「お金もどんどん吸い寄せてまうやろ~!」という感じになる、というスクリプト。
怒りを帯電して「悔しい!悔しい!」って地団駄を踏んでしまうのが子供だとすると「子供だったらお金持ちになれるわけがない!」は当たり前ですよね(最近、たまに違うケースがあるけど)。
怒りの電気が少なければ少ないほど大人、ということであれば、このスクリプトは有効なんです。
大人になって豊かな金持になる、その喜び。
そんな仕組みのスクリプトになっていました。