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「御意!」っていうのはドラマで流行った言葉
昨日、同僚のカウンセラーが「コンコン!」とドアを叩いて「今、いいでしょうか?」と珍しく話しかけてくれました。
「ブログで3年後って書いていましたよね!」 あのブログの前日のカウンセリングであるクライアントさんが「大嶋さんは、2、3年後に自由になるっていう夢を見た」と話していらっしゃったんですよ!
ひえ~!恐ろしや~!(ちょっと待てよ!あなたたちカウンセリングでなんの話をしとるんじゃ!)
クライアントさんと同僚がその話をした次の日に、催眠のお師匠さんが出て来て「三年後の大嶋さんは何をしていますかね?」という話になって「足かせが外れてる~!」ということになった。
逆に考えてしまうと、クライアントさんがそんなことを思っていたから、私はクライアントさんの脳と同僚のにつながって「3年後」の話が出て来たのかもしれない?と思ったら面白くなってきた。
あの時、私は「あ!お師匠さんだ!」と思ったのが実は、脳のネットワークで繋がったクライアントさんとスタッフだった、ということも十分にあり得る話。
「お師匠さんが出て来て!道を示してくださった~!」という話だったら「お~!感動的な話じゃ~!」となるのですが、実は同僚と脳が繋がって、ということになると「な~んだ!そうだったのか!」という感じになるんです。
脳のネットワークって本当に存在しているのかもしれませんよね!(って今さらか~い!)
今、原稿を何本も同時に書いているのですが、編集者によって全然進み方、展開が違っていて「この編集者の脳ってすげ~!」というのがあるんです。
一見、地味で、静かそうな編集者の原稿を書いていると「なるほど!こういう仕組みになっているんだ!」とどんどん見えて来て「おもしろい!」となって、この人、めちゃくちゃ頭がキレるんだろうな!と思うと同時に、「あ~!これだけ頭が切れちゃうから、これまで嫉妬されて、散々痛い目にあって来たから”目立たないように!”控えめな容姿になったんだな!」という仮説が立てられちゃいます。
輝く才能がある女性の場合、まず、母親から嫉妬されて潰されちゃいますから。
ある編集者の原稿を書いていたら、ある時点で筆が止まります。
原稿って、一章ずつ書き終わったら編集者に送って確認していただくのですが、前回送った原稿を読んで「あ~!この原稿を出版することにちょっと躊躇したでしょ!」と編集者の脳に迷いが生じたことが伝わって来て「お~!あれだけスイスイ楽しく書けていたのがピタリと止まった!」となるんです。
そして、先の展開が見えなくて「ひえ~!どうしよう~!」って困っちゃうんです。
本当は、ちゃんとその時点で話し合えばいいのですが「迷いもテイストのうち!」とわけのわからないことを思いながら無理やり書き進めて「お~!こんな風になったけど大丈夫かい!」と思うんです。
まあ、もちろん本の設計図も大切なのですが、ポイントは「私が書いているわけではない!」ということなんです(責任逃れか~い!)。
私が好きなイエスの話で、イスラエルの支配国であるローマ帝国の百人隊長の僕(しもべ=部下)が病気になって百人隊長がイエスのもとに「部下の病気を治してちょうだい!」とやって来ます。
イエスが「じゃあ!あなたのところに行こうか!」と言いました。すると百人隊長は「私の屋根の下にあなたをお入れする資格は、私にはございません。ただ、御言葉をください。そうすれば僕は治ります」と言ったんです。
百人隊長は、自分にも部下がいて、部下に「行け!」といえば行き、「こい!」といえば来ますし、「これをせよ!」といえば「してくれるんです!」とイエスに言ったんです。
そしたらイエスが「これほどの信仰を見たことがない!」と非常に感心して言ったんです。
私は、この話が大好きです。
日本では「御意!」と従う気持ち(「御意!」って「あなたの仰せのままに」という感じ)。
これと宮本武蔵の「我以外皆我師!」というのが重なって「御意!」と相手の言葉に従う喜びがあるんです。
だから、編集者からいただくお題と本の設計図を「御意!」とそのまま受け取って、私は、私の考えを捨てて従います。
すると、面白い展開が見えて来て「お~!こんな素晴らしいことになっているんだ!」って。
ちなみに百人隊長にイエスは「行け、あなたの信じたとおりになる」と言ったら、ちょうどそのときに「あれ?僕の病気は治っちゃった!」となりました。
だから、本を書くときは、編集者の言葉のままに、そして、編集者さんの脳を使って書き、そして、こうしてブログを書くときは「心よ!」と心に言われたままに書いています。
自分を捨てて書いていくと、みなさんと一緒に面白いことが見えてくるんです。
私が予測もできなかったようなことが。
そりゃそうだ!
アマゾンで「小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ」(PHP研究所)のレビューを書いてくださってありがとうございます。
この本が内容的にも読みやすさ的にもベストです、って書いてくださってありがとうございます。この本を企画して編集してくださった編集長は本当にすごいんです。すごい静かな方なんですけど、中身が詰まっている!だから、書いてて本当に始めは苦しかったんですけど、どんどん面白くなっていって、解決法がまたユニークでした。私もこの本が好きです。「オリジナルに」というのが結構使えます。私的に。いつもありがとうございます。
感情の凪、と書いてくださってありがとうございます。叱られて、感情って麻痺していきますよね。そして、その場で感じて発散できなかった感情にゆさぶられて、という気付きは素晴らしいです。一つ一つの感情を取り戻していくって、大切なんですよね。私も一つ一つ取り戻しつつあるようなきがします。書いてくださってありがとうございます。
いつも応援してくださってありがとうございます。
感謝!!
大嶋 信頼
24/11/08
24/10/18
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昨日、同僚のカウンセラーが「コンコン!」とドアを叩いて「今、いいでしょうか?」と珍しく話しかけてくれました。
「ブログで3年後って書いていましたよね!」 あのブログの前日のカウンセリングであるクライアントさんが「大嶋さんは、2、3年後に自由になるっていう夢を見た」と話していらっしゃったんですよ!
ひえ~!恐ろしや~!(ちょっと待てよ!あなたたちカウンセリングでなんの話をしとるんじゃ!)
クライアントさんと同僚がその話をした次の日に、催眠のお師匠さんが出て来て「三年後の大嶋さんは何をしていますかね?」という話になって「足かせが外れてる~!」ということになった。
逆に考えてしまうと、クライアントさんがそんなことを思っていたから、私はクライアントさんの脳と同僚のにつながって「3年後」の話が出て来たのかもしれない?と思ったら面白くなってきた。
あの時、私は「あ!お師匠さんだ!」と思ったのが実は、脳のネットワークで繋がったクライアントさんとスタッフだった、ということも十分にあり得る話。
「お師匠さんが出て来て!道を示してくださった~!」という話だったら「お~!感動的な話じゃ~!」となるのですが、実は同僚と脳が繋がって、ということになると「な~んだ!そうだったのか!」という感じになるんです。
脳のネットワークって本当に存在しているのかもしれませんよね!(って今さらか~い!)
今、原稿を何本も同時に書いているのですが、編集者によって全然進み方、展開が違っていて「この編集者の脳ってすげ~!」というのがあるんです。
一見、地味で、静かそうな編集者の原稿を書いていると「なるほど!こういう仕組みになっているんだ!」とどんどん見えて来て「おもしろい!」となって、この人、めちゃくちゃ頭がキレるんだろうな!と思うと同時に、「あ~!これだけ頭が切れちゃうから、これまで嫉妬されて、散々痛い目にあって来たから”目立たないように!”控えめな容姿になったんだな!」という仮説が立てられちゃいます。
輝く才能がある女性の場合、まず、母親から嫉妬されて潰されちゃいますから。
ある編集者の原稿を書いていたら、ある時点で筆が止まります。
原稿って、一章ずつ書き終わったら編集者に送って確認していただくのですが、前回送った原稿を読んで「あ~!この原稿を出版することにちょっと躊躇したでしょ!」と編集者の脳に迷いが生じたことが伝わって来て「お~!あれだけスイスイ楽しく書けていたのがピタリと止まった!」となるんです。
そして、先の展開が見えなくて「ひえ~!どうしよう~!」って困っちゃうんです。
本当は、ちゃんとその時点で話し合えばいいのですが「迷いもテイストのうち!」とわけのわからないことを思いながら無理やり書き進めて「お~!こんな風になったけど大丈夫かい!」と思うんです。
まあ、もちろん本の設計図も大切なのですが、ポイントは「私が書いているわけではない!」ということなんです(責任逃れか~い!)。
私が好きなイエスの話で、イスラエルの支配国であるローマ帝国の百人隊長の僕(しもべ=部下)が病気になって百人隊長がイエスのもとに「部下の病気を治してちょうだい!」とやって来ます。
イエスが「じゃあ!あなたのところに行こうか!」と言いました。すると百人隊長は「私の屋根の下にあなたをお入れする資格は、私にはございません。ただ、御言葉をください。そうすれば僕は治ります」と言ったんです。
百人隊長は、自分にも部下がいて、部下に「行け!」といえば行き、「こい!」といえば来ますし、「これをせよ!」といえば「してくれるんです!」とイエスに言ったんです。
そしたらイエスが「これほどの信仰を見たことがない!」と非常に感心して言ったんです。
私は、この話が大好きです。
日本では「御意!」と従う気持ち(「御意!」って「あなたの仰せのままに」という感じ)。
これと宮本武蔵の「我以外皆我師!」というのが重なって「御意!」と相手の言葉に従う喜びがあるんです。
だから、編集者からいただくお題と本の設計図を「御意!」とそのまま受け取って、私は、私の考えを捨てて従います。
すると、面白い展開が見えて来て「お~!こんな素晴らしいことになっているんだ!」って。
ちなみに百人隊長にイエスは「行け、あなたの信じたとおりになる」と言ったら、ちょうどそのときに「あれ?僕の病気は治っちゃった!」となりました。
だから、本を書くときは、編集者の言葉のままに、そして、編集者さんの脳を使って書き、そして、こうしてブログを書くときは「心よ!」と心に言われたままに書いています。
自分を捨てて書いていくと、みなさんと一緒に面白いことが見えてくるんです。
私が予測もできなかったようなことが。
そりゃそうだ!
アマゾンで「小さなことで感情をゆさぶられるあなたへ」(PHP研究所)のレビューを書いてくださってありがとうございます。
この本が内容的にも読みやすさ的にもベストです、って書いてくださってありがとうございます。この本を企画して編集してくださった編集長は本当にすごいんです。すごい静かな方なんですけど、中身が詰まっている!だから、書いてて本当に始めは苦しかったんですけど、どんどん面白くなっていって、解決法がまたユニークでした。私もこの本が好きです。「オリジナルに」というのが結構使えます。私的に。いつもありがとうございます。
感情の凪、と書いてくださってありがとうございます。叱られて、感情って麻痺していきますよね。そして、その場で感じて発散できなかった感情にゆさぶられて、という気付きは素晴らしいです。一つ一つの感情を取り戻していくって、大切なんですよね。私も一つ一つ取り戻しつつあるようなきがします。書いてくださってありがとうございます。
いつも応援してくださってありがとうございます。
感謝!!
大嶋 信頼