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大きな矛盾
私が大学時代に一時期、寮から出てアパートでルームメイトと暮らすことになりました。
日本にいた頃は「部屋がぐちゃぐちゃで片付けられない!」という悩みを抱えていました。
「捨てられない!」とか「整理できない!」でカバンの中もテスト用紙とかがぐちゃぐちゃ。
引き出しの中もいらない物がいっぱい詰まっている、という感じで「片付けよう!」と思うのですが、いつのまにか引き出しにあった爪切りに目がいってしまって「爪を切らなきゃ!」となってしまいます。
爪を切っていると、机の溝が気になってしまって、そこをほじくり返すことに集中してしまって「いつまでも片付けられないじゃん!」となっていたんです。
ルームメイトとアパートを借りた時に「部屋を綺麗にして勉強ができる環境を整えなきゃ!」と思っている時は「片付けられない!」となって、本当に部屋が汚かったんです。
ところが「女の子を部屋に誘うために部屋を綺麗にする」ということをチラッとルームメイトに言った時に「あれ?」ということが起きました。
私は「女の子を部屋に誘う」なんていうのはとんでもない!という真面目な青年でした。
清く、正しく、美しく、が私の心情(心の中で思っていること)でしたから、女の子を部屋に誘うなんて「チャラ男みたいなことは私はできない!」と思っていたんです。
まあ、そういう軟派な男性を軽蔑して「汚い」という扱いを自分の心の中でしていたのですが、実際に汚かったのは私の部屋と私の心でした。いつも、女の子と仲良くイチャイチャしているイケメンを見ては「羨ましい」と思いながらも「不潔です!」と思っていたところがあったんですね~!
「清く、正しく、美しく」ですから。
でも、実際の私の心は「ドロドロ、ボロボロ、醜い~!」だったんです。
この矛盾が非常に嫌だったんです。
それを努力で変えようとしていたのですが、一時は「よし!やるぞ!」となるのですが「続かないじゃないか!やっぱり!」となっていたのは興味深いんです。
その時は、授業が大変でちっともクラスのみんなに追いつかなくて「トイレの中まで教科書を手放せない!」という状態で「女の子なんかに声をかけるなんてとんでもない!」という状態でした(大体その勇気もありませんでしたけど)。
そんな私がルームメイトに「女の子を部屋に誘うために綺麗にする」と言った途端に、私の心についていた足枷のようなものが「パカ!」っと外れて「あれ!掃除が楽にできる~!」となります。
「自分が勉強する環境を整える」と思っていた時はちっともできなかった掃除機かけもできるようになり、「あれ?絨毯の埃を吸って鼻水が止まらなかったのに、止まった!」となってびっくり。
それで勉強に集中できるようになるから「お~!」となります。
部屋に帰ってきてから「いつ女の子が来るかわからないから!」と考えると「掃除機をかけよう!」ととりあえず掃除機をかけ始めて、そして、机の上にあったいらないものを捨ててしまいます。
まあ、普通の精神医学的に考えれば「女の子を部屋に誘う」ということで性腺刺激ホルモンが分泌されて、そしてそれに伴ってアドレナリンの値も上がるので万年うつ状態が一時的に解消されて、思うように行動できるようになった、という仮説も立てられます。
思考パターンを使って、性腺刺激ホルモンをうまい具合に条件づけることで「掃除ができるような意欲が出てきた」ということ。
確かにそれもあるのかもしれません。
でも、私の中では、あの私の「清く、正しく、美しく」というものが「思うように動けない」ということに大いに関係していたような気がするんです。
最近書いた「行動できない」自分からの脱出法!では「清く、正しく、美しく」ということをすればするほど「除菌状態」だから自己免疫が暴走して「自分に対するダメ出しが酷くなる!」となります。自己免疫が暴走していると、自分の正常細胞を攻撃しちゃって「なんでちゃんとお片づけをしないの!」とか「なんで整理整頓ができないの!」と自分に片っ端からダメ出しをしちゃって、自分自身を壊しちゃう。自己免疫が暴走して「皮膚が痒くなってボロボロになっちゃう!」みたいな感じ。
あの本は、催眠的なスクリプトで書いてあります。
自己免疫の暴走の暗喩で「自分で自分を攻撃しちゃうから動けなくなる」は、本当は、脳のネットワークを通じて嫉妬の発作を誘発して、その嫉妬の発作を受けることで、脳の電力的な異常が起きて「体が思うように動かせなくなる」という状態になっている、と考えた方が通じるような気がしているんです。
ほら!
ここでも私は非常に矛盾していることをやっているんですよね。
それは「真面目に書く」ということです。
この「真面目」が「清く、正しく、美しく」と共通していて「嫉妬の発作を誘発してまうやろ~!」となるのを知っているんです。
だから(つっこみ)を連発して嫉妬の発作をできるだけ避ける対策とかをこれまで多用してきたんですよね。
「真面目さ」を避けるために。
でも「やりたいことができない!」とか「お金持になりたい!」という方の本当に求めていることを追求していくと、どうしても真面目にメカニズムを解明して、それに対しての対応策を真面目に書いてしまうアホな私がいるんですね。
嫉妬の発作を避けて、一般の人向けに文章を書くか。
それとも、真実を追求して、真面目に書き続けてしまうのか。
私自身がものすごくいいサンプルなんですよね。
非常に興味深いです。
(つづく)
24/11/08
24/10/18
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私が大学時代に一時期、寮から出てアパートでルームメイトと暮らすことになりました。
日本にいた頃は「部屋がぐちゃぐちゃで片付けられない!」という悩みを抱えていました。
「捨てられない!」とか「整理できない!」でカバンの中もテスト用紙とかがぐちゃぐちゃ。
引き出しの中もいらない物がいっぱい詰まっている、という感じで「片付けよう!」と思うのですが、いつのまにか引き出しにあった爪切りに目がいってしまって「爪を切らなきゃ!」となってしまいます。
爪を切っていると、机の溝が気になってしまって、そこをほじくり返すことに集中してしまって「いつまでも片付けられないじゃん!」となっていたんです。
ルームメイトとアパートを借りた時に「部屋を綺麗にして勉強ができる環境を整えなきゃ!」と思っている時は「片付けられない!」となって、本当に部屋が汚かったんです。
ところが「女の子を部屋に誘うために部屋を綺麗にする」ということをチラッとルームメイトに言った時に「あれ?」ということが起きました。
私は「女の子を部屋に誘う」なんていうのはとんでもない!という真面目な青年でした。
清く、正しく、美しく、が私の心情(心の中で思っていること)でしたから、女の子を部屋に誘うなんて「チャラ男みたいなことは私はできない!」と思っていたんです。
まあ、そういう軟派な男性を軽蔑して「汚い」という扱いを自分の心の中でしていたのですが、実際に汚かったのは私の部屋と私の心でした。いつも、女の子と仲良くイチャイチャしているイケメンを見ては「羨ましい」と思いながらも「不潔です!」と思っていたところがあったんですね~!
「清く、正しく、美しく」ですから。
でも、実際の私の心は「ドロドロ、ボロボロ、醜い~!」だったんです。
この矛盾が非常に嫌だったんです。
それを努力で変えようとしていたのですが、一時は「よし!やるぞ!」となるのですが「続かないじゃないか!やっぱり!」となっていたのは興味深いんです。
その時は、授業が大変でちっともクラスのみんなに追いつかなくて「トイレの中まで教科書を手放せない!」という状態で「女の子なんかに声をかけるなんてとんでもない!」という状態でした(大体その勇気もありませんでしたけど)。
そんな私がルームメイトに「女の子を部屋に誘うために綺麗にする」と言った途端に、私の心についていた足枷のようなものが「パカ!」っと外れて「あれ!掃除が楽にできる~!」となります。
「自分が勉強する環境を整える」と思っていた時はちっともできなかった掃除機かけもできるようになり、「あれ?絨毯の埃を吸って鼻水が止まらなかったのに、止まった!」となってびっくり。
それで勉強に集中できるようになるから「お~!」となります。
部屋に帰ってきてから「いつ女の子が来るかわからないから!」と考えると「掃除機をかけよう!」ととりあえず掃除機をかけ始めて、そして、机の上にあったいらないものを捨ててしまいます。
まあ、普通の精神医学的に考えれば「女の子を部屋に誘う」ということで性腺刺激ホルモンが分泌されて、そしてそれに伴ってアドレナリンの値も上がるので万年うつ状態が一時的に解消されて、思うように行動できるようになった、という仮説も立てられます。
思考パターンを使って、性腺刺激ホルモンをうまい具合に条件づけることで「掃除ができるような意欲が出てきた」ということ。
確かにそれもあるのかもしれません。
でも、私の中では、あの私の「清く、正しく、美しく」というものが「思うように動けない」ということに大いに関係していたような気がするんです。
最近書いた「行動できない」自分からの脱出法!では「清く、正しく、美しく」ということをすればするほど「除菌状態」だから自己免疫が暴走して「自分に対するダメ出しが酷くなる!」となります。自己免疫が暴走していると、自分の正常細胞を攻撃しちゃって「なんでちゃんとお片づけをしないの!」とか「なんで整理整頓ができないの!」と自分に片っ端からダメ出しをしちゃって、自分自身を壊しちゃう。自己免疫が暴走して「皮膚が痒くなってボロボロになっちゃう!」みたいな感じ。
あの本は、催眠的なスクリプトで書いてあります。
自己免疫の暴走の暗喩で「自分で自分を攻撃しちゃうから動けなくなる」は、本当は、脳のネットワークを通じて嫉妬の発作を誘発して、その嫉妬の発作を受けることで、脳の電力的な異常が起きて「体が思うように動かせなくなる」という状態になっている、と考えた方が通じるような気がしているんです。
ほら!
ここでも私は非常に矛盾していることをやっているんですよね。
それは「真面目に書く」ということです。
この「真面目」が「清く、正しく、美しく」と共通していて「嫉妬の発作を誘発してまうやろ~!」となるのを知っているんです。
だから(つっこみ)を連発して嫉妬の発作をできるだけ避ける対策とかをこれまで多用してきたんですよね。
「真面目さ」を避けるために。
でも「やりたいことができない!」とか「お金持になりたい!」という方の本当に求めていることを追求していくと、どうしても真面目にメカニズムを解明して、それに対しての対応策を真面目に書いてしまうアホな私がいるんですね。
嫉妬の発作を避けて、一般の人向けに文章を書くか。
それとも、真実を追求して、真面目に書き続けてしまうのか。
私自身がものすごくいいサンプルなんですよね。
非常に興味深いです。
(つづく)