03-3433-2721
〒105-0021 東京都港区東新橋2-16-3カーザベルソーレ4F
営業時間/AM10:00~PM18:00 定休日/日・祝
「すげ~!」と「ずるい!」
「すげ~!」の反対が「ずるい!」と考えると面白いですね。
「すげ~!」の“尊敬”の反対が「ずるい!」で”嫉妬”になるわけです(ちなみに、尊敬の対義語は“軽蔑”や“侮辱”です)。
今回、この「ずるい!」の本を書いていて「へ~!そうなっているんだ!」と感心しました。
これまで自然に「ずるい!」をやっていて、気がつかないことがたくさんあって、書いていて面白い発見が。
自分自身を振り返ってみて「ずるい!」と嫉妬をしているところがものすごく面白いんです。
子供の頃に「あの子!テストで100点取っていてずるい!」とわけのわからない嫉妬をしていました。
「これって、面白くないですか!」(それは、あんたの頭がでしょ!)。
今考えれば「だったら、勉強しろよ!」と思うのですが「ずるい!あんないい成績をとって!」と嫉妬をしながら勉強できなかったんですから。
「勉強ができない!」じゃなくて「勉強をしなかったんでしょ!」と多分当時の私を知る人から突っ込まれるのかもしれません。
私の中のこの「ずるい!」は「本来、私が取るべき良い成績をあいつが奪った!」というような感覚なんです。
「いや、いや、いや!ちゃんと勉強していないからでしょ!」と言われるのですが、私の中では「私の座るべき座を奪われた」という感覚が何処かにあるから「ずるい!」となっているんです。
クラスの中で可愛い子がいて「いいな~!あの子!」と思っていると、女ったらしの男子が、その子にアプローチをしていて、いつの間にか手を繋いで歩いています。
そんな時に「ずるい!」となって「悔しい~!」という感覚になるんです。
当時の私を知る人だったら「あんたみたいに勉強できないダメダメっ子があんな可愛い子に振り向いてもらえるわけがないじゃない!」と言われてしまいます。
本来はあの子の横で手を繋いでいるのは私のはずなのに「あいつに奪われた!ずるい!」というテイにどこかなっている感覚があるんです。
これを人は「妄想」と処理をしてしまいます。
想像の中で「あの子と仲良く手を繋げたらいいな~!」という想像が膨らみすぎてしまって、まるで、それが現実のような錯覚を起こしてしまって「私のあの子を奪った!ずるい!」という感覚なんだ、ということ。
それが妄想になります(妄想=根拠がない想像)。
でも、ちょっと戻って100点を取ったやつに「ずるい!」となるのはなぜ?
それも妄想?
これをアリの世界の2・6・2で考えてみると「ずるい!」の嫉妬の構造が楽しくなってきます。
これまでに出版された本の中にもたくさん書いていますが、アリは巣に100匹いたとしたら働くアリは20匹しかいません。そのほかの60匹は働いているフリをして、その下の20匹は全く働いていないんです。
だったら働いているアリを集めてきて100匹の優秀なコロニーを作ろう!としても、必ず2・6・2になってしまって「やっぱり働いているアリは20匹しかいない!」となるんです(私はこのありの実験を実際にやったわけじゃないので社会学者の説を信じるしかないのですが、会社で働いているときは必ずそうなっていました。働ける人が倒れると、あ!あんなに働かなかった人が働くようになった!ってシフトチェンジ!が起きちゃうんです)。
私の説では、アリの世界でも脳のネットワークがあって、働くアリのストレスを働かないアリが処理をしている、という感じ。
だから、動かないアリは「何もしていないのにストレスがどんどん溜まるんですけど!」となるわけです。
そこで100点のテストの私の事例に戻ってみると「ずるい!」というのは、100点を取ったあいつは「トップ2割に居座っているから、私が下の2割にならされてずるい!」となってしまうんですね。
モテモテのトップ2割の座をあいつが奪ったから「ダサダサの座が私に押し付けられた!ずるい!」となっている、という話です。
こうして考えるとあの「持っているものはますます豊かになり、持っていないものは持っているものまで奪われる」というマタイの法則が見事に当てはまります。
「ずるい!」というのは、妄想なんかじゃなくて現実なんです(私の説では)。
でも、真ん中の働いているフリをしている6割の人たちにとっては、そんなことは無縁ですから「そんなの妄想やろ!」となります。
請け負わされている感が全くなくて淡々と生きているわけですから。
ここでの問題は、実際に貧乏くじを引かされたから「ずるい!」となるのか、それとも「ずるい!」と言うから下の2割の落ちていくのか?
そこが問題です。
(つづく)
24/11/08
24/10/18
TOP
「すげ~!」の反対が「ずるい!」と考えると面白いですね。
「すげ~!」の“尊敬”の反対が「ずるい!」で”嫉妬”になるわけです(ちなみに、尊敬の対義語は“軽蔑”や“侮辱”です)。
今回、この「ずるい!」の本を書いていて「へ~!そうなっているんだ!」と感心しました。
これまで自然に「ずるい!」をやっていて、気がつかないことがたくさんあって、書いていて面白い発見が。
自分自身を振り返ってみて「ずるい!」と嫉妬をしているところがものすごく面白いんです。
子供の頃に「あの子!テストで100点取っていてずるい!」とわけのわからない嫉妬をしていました。
「これって、面白くないですか!」(それは、あんたの頭がでしょ!)。
今考えれば「だったら、勉強しろよ!」と思うのですが「ずるい!あんないい成績をとって!」と嫉妬をしながら勉強できなかったんですから。
「勉強ができない!」じゃなくて「勉強をしなかったんでしょ!」と多分当時の私を知る人から突っ込まれるのかもしれません。
私の中のこの「ずるい!」は「本来、私が取るべき良い成績をあいつが奪った!」というような感覚なんです。
「いや、いや、いや!ちゃんと勉強していないからでしょ!」と言われるのですが、私の中では「私の座るべき座を奪われた」という感覚が何処かにあるから「ずるい!」となっているんです。
クラスの中で可愛い子がいて「いいな~!あの子!」と思っていると、女ったらしの男子が、その子にアプローチをしていて、いつの間にか手を繋いで歩いています。
そんな時に「ずるい!」となって「悔しい~!」という感覚になるんです。
当時の私を知る人だったら「あんたみたいに勉強できないダメダメっ子があんな可愛い子に振り向いてもらえるわけがないじゃない!」と言われてしまいます。
本来はあの子の横で手を繋いでいるのは私のはずなのに「あいつに奪われた!ずるい!」というテイにどこかなっている感覚があるんです。
これを人は「妄想」と処理をしてしまいます。
想像の中で「あの子と仲良く手を繋げたらいいな~!」という想像が膨らみすぎてしまって、まるで、それが現実のような錯覚を起こしてしまって「私のあの子を奪った!ずるい!」という感覚なんだ、ということ。
それが妄想になります(妄想=根拠がない想像)。
でも、ちょっと戻って100点を取ったやつに「ずるい!」となるのはなぜ?
それも妄想?
これをアリの世界の2・6・2で考えてみると「ずるい!」の嫉妬の構造が楽しくなってきます。
これまでに出版された本の中にもたくさん書いていますが、アリは巣に100匹いたとしたら働くアリは20匹しかいません。そのほかの60匹は働いているフリをして、その下の20匹は全く働いていないんです。
だったら働いているアリを集めてきて100匹の優秀なコロニーを作ろう!としても、必ず2・6・2になってしまって「やっぱり働いているアリは20匹しかいない!」となるんです(私はこのありの実験を実際にやったわけじゃないので社会学者の説を信じるしかないのですが、会社で働いているときは必ずそうなっていました。働ける人が倒れると、あ!あんなに働かなかった人が働くようになった!ってシフトチェンジ!が起きちゃうんです)。
私の説では、アリの世界でも脳のネットワークがあって、働くアリのストレスを働かないアリが処理をしている、という感じ。
だから、動かないアリは「何もしていないのにストレスがどんどん溜まるんですけど!」となるわけです。
そこで100点のテストの私の事例に戻ってみると「ずるい!」というのは、100点を取ったあいつは「トップ2割に居座っているから、私が下の2割にならされてずるい!」となってしまうんですね。
モテモテのトップ2割の座をあいつが奪ったから「ダサダサの座が私に押し付けられた!ずるい!」となっている、という話です。
こうして考えるとあの「持っているものはますます豊かになり、持っていないものは持っているものまで奪われる」というマタイの法則が見事に当てはまります。
「ずるい!」というのは、妄想なんかじゃなくて現実なんです(私の説では)。
でも、真ん中の働いているフリをしている6割の人たちにとっては、そんなことは無縁ですから「そんなの妄想やろ!」となります。
請け負わされている感が全くなくて淡々と生きているわけですから。
ここでの問題は、実際に貧乏くじを引かされたから「ずるい!」となるのか、それとも「ずるい!」と言うから下の2割の落ちていくのか?
そこが問題です。
(つづく)