無欲であることは必要?

心の傷を癒す心理相談室、株式会社インサイト・カウンセリングです

03-3433-2721

〒105-0021 東京都港区東新橋2-16-3カーザベルソーレ4F

営業時間/AM10:00~PM18:00 定休日/日・祝

無欲であることは必要?

大嶋信頼ブログ 緊張しちゃう人たち

2016/09/01 無欲であることは必要?

ある方から「自分の望んでいる物を念頭に置きながら知能のバランスのキーワードを唱えるんですか?」と質問された。

 

「これは素晴らしい質問だ!」と思いました。

 

例えば「彼氏が欲しい!」ということを思いながら「それが叶いますように!」と呪文のように唱えれば「願いが叶う!」ということだったら面白い。

 

でも、次の日になって「ちっともいい出会なんかありゃしないじゃない!」と思ってしまった時点で「いい出会がない!」という幻想の現実が作り上げられてその世界に封印されてしまう。

周りの人たちは仕合せな出逢いをたくさんしているのに、自分だけがいつも貧乏くじで変な人しか寄ってこない、という現実を想像するだけで作り上げることが出来ちゃう。

 

だったら、いつも素敵な男性に囲まれて、という妄想に浸っていればいいじゃない!となるのだが、今度は、その妄想と現実の差で「やっぱり私は惨めな現実に生きている!」と思っちゃうからそれが現実になる(迷路みたい~!)。

 

全く無欲になって無心で知能のバランスのキーワードを唱えなくちゃいけないの?

 

そんな修行のようなことは全く必要ないんです。

 

何も無いときでもキーワードを唱えていると、知能のバランスが自然と取れてきて、だんだんと考えないで動く、と言うことが出来るようになります。そして、人に対しても考えないで反応しちゃう、となるから「イラッ!」として「どっか~ん!」と怒りが爆発して普段言わないようなことが口から自然に出てきて、不快な人との距離がちゃんと取れてしまったりします。

 

唱えていくと、どうでもいい人が自分に近づいてきて「まあいいか!」と思って食事に行ったら、そこから新たなる出逢いが生まれて、さらにこれまで会ったことのない人たちと出会い、という感じで広がっていきます。

 

言語性知能が暴走していたときって「こんな人と食事に行ったってつまらないだけ!」と断っていたのですが、知能のバランスが取れてしまうと、感覚で「まあいいか!」と何も望まないでそこに飛び込んでいき、わらしべ長者的にどんどん増えていくという現象が見られるんです。

 

言語性知能の暴走で常に損得勘定で動いていたときは「いつも自分は損をする~!」と悔しい思いをしていたのに、バランスが取れてくると、損得じゃなくてそのときの気分で動けちゃって、そこから色んな物につながって、最終的には自分の求めていた物へとたどり着く。

 

言語性知能が暴走している人から見れば遠回りをしているようだけど、結果的には最短距離、という面白い現象が知能のバランスにはあるような気がしているんです。

 

種を明かしてしまえば、それが無意識さんの力、となります。

 

だから、理論上は知能のバランスが取れていなくても無意識さんに聞きながら進んでいけば、知能のバランスが取れている人と同じような所へとたどり着きます。

 

でも“心”に聞くというテクニックよりももっと手軽に簡単に、ただキーワードを唱えるだけにしろ!という要望から知能のバランス、というテクニックが生まれています。

 

誰でも、どんな人でも自由になれるように。

望んでいる物が手に入れられるように、というのが目標になります。

 

 

 

 

TOP