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劣化しないもの
「夫はどんなにひどいことを言っても忘れてしまうので録音してとってあるんです!」と仰った方がいらっしゃった。
現代は便利になって、すぐにデジタルで録画録音できて、音声や画像が年月とともに劣化することなく記録することができる。
「あ~あ!それをやってしまったら、過去の自分も現在の自分も変わることが困難になるのに」と思うのだが、それを最初から説明するのが難しい。
ブッタが物を一切持たなかったのは、その物に記憶が条件付けされてしまうから。 物に条件付けされた記憶によって、過去の自分に引き戻される。 もし、ブッタが物を所持していたら、その物を見た瞬間に、物に条件づけられた記憶によって脳と脳のネットワークで過去に飛ばされて「せっかく悟りを開いたのに~!また振り出しに戻っちゃった~!」となる。
だから、もしブッタが物や土地に執着していたらあのブッタの姿は存在しえなかった、と考えてみると面白い。
物が捨てられない人たち、というのは、その物に記憶が条件づけられているから、それを捨ててしまったら記憶を失って自分自身ではなくなってしまう恐怖から捨てられない、というのがあったりする。
でも、その記憶によって過去に引き戻されてあの重いデータをもう一度再体験して現在の自分の脳内のハードディスクがどんどん重くなって動けなくなってしまう。そして、変わらない過去により自分自身が「変わらない現実!」という中に生き続けることになる。
インターネットで中傷してしまったら、そのデータはネット上で劣化することが無いので、よって、その怒りも劣化することなく残り続け、それを思い出すたびに、それを書いた時点の自分のメンタリティーに引き戻されて「ご破算で願いましては~!」とあの憎しみと恨みにまみれたデータをもう一度自分の脳にインストールすることになる。
人は時と共に成長し変化していく。
でも、変化しても、記憶がそこに条件づけられてしまっていたら、一発でドロドロとした中に引き戻される(ある意味で年を取らない人になる)。
ブッタの時代は、劣化しないものがほとんどなかったのかもしれない。 ブッタ自身は文章という形で教えを残さず、いくらでも忘却されてしまう”語る”という方法を取っていた。
そこがすごい!
今は、劣化しないものがあふれてしまっている。だから、過去を変えることがとっても難しくなっている気がする。 劣化しないデータを指さして「ほら!あんたは変わっていないでしょ!」といくらでも過去に引き戻すことができてしまう。 せっかくの変化が打ち消されて、重い罪を背負わされる(罪=過去の失敗のデータ)。
でも、逆に考えれば、過去を変えることは簡単なのかもしれない。
だから、催眠のお師匠さんも文章をあまり残さなかったのかもしれない。
お師匠さんから語られた言葉の一つ一つは、私の変化とともに形を変えてどんどん美しく私の中で輝いていく。
すると、お師匠さんと過ごした過去の意味づけが私の中でどんどん変わっていく。 そして、私の過去が変わっていき、今の私がどんどん変化していく。
そう考えるとここで文章を書いている私はなんとアホなことをしているのだろう?と一瞬思う。
でも、劣化しないものであふれているこの世の中ではこれまでとは違った方法が求められているのかもしれない、となんとなく思う。
24/11/08
24/10/18
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「夫はどんなにひどいことを言っても忘れてしまうので録音してとってあるんです!」と仰った方がいらっしゃった。
現代は便利になって、すぐにデジタルで録画録音できて、音声や画像が年月とともに劣化することなく記録することができる。
「あ~あ!それをやってしまったら、過去の自分も現在の自分も変わることが困難になるのに」と思うのだが、それを最初から説明するのが難しい。
ブッタが物を一切持たなかったのは、その物に記憶が条件付けされてしまうから。
物に条件付けされた記憶によって、過去の自分に引き戻される。
もし、ブッタが物を所持していたら、その物を見た瞬間に、物に条件づけられた記憶によって脳と脳のネットワークで過去に飛ばされて「せっかく悟りを開いたのに~!また振り出しに戻っちゃった~!」となる。
だから、もしブッタが物や土地に執着していたらあのブッタの姿は存在しえなかった、と考えてみると面白い。
物が捨てられない人たち、というのは、その物に記憶が条件づけられているから、それを捨ててしまったら記憶を失って自分自身ではなくなってしまう恐怖から捨てられない、というのがあったりする。
でも、その記憶によって過去に引き戻されてあの重いデータをもう一度再体験して現在の自分の脳内のハードディスクがどんどん重くなって動けなくなってしまう。そして、変わらない過去により自分自身が「変わらない現実!」という中に生き続けることになる。
インターネットで中傷してしまったら、そのデータはネット上で劣化することが無いので、よって、その怒りも劣化することなく残り続け、それを思い出すたびに、それを書いた時点の自分のメンタリティーに引き戻されて「ご破算で願いましては~!」とあの憎しみと恨みにまみれたデータをもう一度自分の脳にインストールすることになる。
人は時と共に成長し変化していく。
でも、変化しても、記憶がそこに条件づけられてしまっていたら、一発でドロドロとした中に引き戻される(ある意味で年を取らない人になる)。
ブッタの時代は、劣化しないものがほとんどなかったのかもしれない。
ブッタ自身は文章という形で教えを残さず、いくらでも忘却されてしまう”語る”という方法を取っていた。
そこがすごい!
今は、劣化しないものがあふれてしまっている。だから、過去を変えることがとっても難しくなっている気がする。
劣化しないデータを指さして「ほら!あんたは変わっていないでしょ!」といくらでも過去に引き戻すことができてしまう。
せっかくの変化が打ち消されて、重い罪を背負わされる(罪=過去の失敗のデータ)。
でも、逆に考えれば、過去を変えることは簡単なのかもしれない。
だから、催眠のお師匠さんも文章をあまり残さなかったのかもしれない。
お師匠さんから語られた言葉の一つ一つは、私の変化とともに形を変えてどんどん美しく私の中で輝いていく。
すると、お師匠さんと過ごした過去の意味づけが私の中でどんどん変わっていく。
そして、私の過去が変わっていき、今の私がどんどん変化していく。
そう考えるとここで文章を書いている私はなんとアホなことをしているのだろう?と一瞬思う。
でも、劣化しないものであふれているこの世の中ではこれまでとは違った方法が求められているのかもしれない、となんとなく思う。