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マウンティングという言葉は面白い
「嫉妬をエネルギーに変える!」×7はいいかも!
今朝も「う~!だるくて走れない!」と思っていたのですが「嫉妬をエネルギーに変える!」×7を唱えていたら「ちょっと走っていいかも!」となって、いつのまにか結構な速度で走っていました。
嫉妬の発作って「自分よりも下の立場の人間が自分よりも優れたものを持っている」という条件で起きちゃいます。
日曜日の朝にサーフィンに行って「波がすごくて全然乗れない!」と3時間以上も挑戦して「チ~ン!」となって、それから動けなくなっていました。月曜日も朝1時間だけサーフィンに行ったけど「身体が全然動かない!」とせっかく行ったのに全然乗れず「あ~あ!」と落ち込んでいると「どんどん体が苦しくなっていく!」という面白い現象。
普通だったら「普段の溜まったストレスが休みで気が緩んだから一気に感じられるようになったんでしょう!」とか「体力的に無理をしすぎたからそんな状態になったんでしょう!」という解釈になります。
私も本気でそう思っていて「う~!全身が痛い!」と悶え苦しんでいました。
でも、面白いのは「嫉妬をエネルギーに変える!」と唱えたら「あれ?あんなに調子が悪かったのが軽くなった!」となるから不思議。
体がボロボロで10キロなんて走れない!と思っていたけど「あれ?唱えたら走っている!」となるから「ほんとに脳のネットワークで嫉妬の影響を受けていたのかも?」と思うわけです。
「自分はダメだ!」と下の立場になった時に、脳のネットワークで繋がっている人たちから、一斉に「ビビビッ~!」と電気が飛んできて「ヒエ~!」となる。
それでダメージを受けて「自分は弱っているかも!」と思ってしまって、その身体的な苦痛を自分のものにしてしまったら「弱者!」というのがネットワークで伝わって、さらに「ビビビッ~!」と嫉妬の電気が飛んできて「ヒエ~~!」とますます調子が悪くなり、ダメージを受け続けちゃう。
その「ビビビッ~!」と飛んでくる嫉妬の電気をエネルギーに変えちゃう、という面白い考え方。
巷には「マウンティング」という言葉があるみたいで「へ~!」となる。
要するにママ友なんかで「弱者!」をちょっとでも演じてしまうとマウンティングする人が劣等感や嫌悪感を感じさせる言動をしてくる。それは単純に「嫉妬の発作」を起こしているから。
マウンティングをしてくるママ友が「話題を奪う!」ということをしたり「自慢話に変わっている!」という感じになるのは「自分の方が上!あんたの方が下!」ということをやりたいがため、と解釈をしているみたいですね。
他には「褒めているのにその褒め方に棘がある~!」というマウンティングの仕方もあるみたい。
マウンティングというのはうまく表現していますよね。
要するに嫉妬って「動物的な発作」だから動物的な行動にたとえて「マウンティング」と呼んでいるのかも。
マウンティングされちゃうのは「嫉妬されやすい人」になりますね。
嫉妬の条件を満たす「弱者」を演じてしまうのは「自己肯定感が低いから」ということで一般的には「自分を持っていない」という表現になるのかもしれません。
「自己肯定感が低い」とか「自分を持っていない」というのは、常に他人の気持ちを考えて優先してしまうタイプの人。
このタイプの人は「自己肯定感が低い方が嫉妬されない」という間違った考え方を一番身近な人間(親など)から条件づけられてしまった。
常に相手の気持ちを考えて行動した方が「嫉妬の攻撃という痛い目に合わないで済む」という間違ったことを信じちゃっていたんですよね。
本当に幼少期からこれが親(身近な人)によって条件づけられてしまっているから、この考え方が間違っている、ということを疑いもしません(私がそうでした。つい最近まで。アハハ~!)。
そして、他人を優先すればするほど、周囲の嫉妬の発作は酷くなり、その攻撃により「劣等感や人に対する嫌悪感」が酷くなる~!という現象が起きます。
劣等感や嫌悪感がひどくなればなるほど、自己肯定感が低くなるから「悪循環じゃ~!」ということになるのだけど本人は決してそれに気づけない。
なぜ気がつけないのか?というと、この「劣等感や嫌悪感」を感じている時に「脳内では発作が起きている~!」という状態になっているから。
発作が起きていると「学習できない!」となる(いや、ほんとうに私は勉強ができなかったな~!ってそっちかい!でも、真面目にそれも発作が関係しています)。
最近の言葉では「マウンティングされる」という状態も発作を起こしてしまうんですね。
「自己肯定感が低い」とか「自分がない」という状態が発作状態で「ビビビッ~!」と電気が脳に過剰に流れていて「相手にやられるままになってしまう~!」と自分の意志の力で抗えなくなる。抗えなくなる、というのが発作が起きている状態。
「自己肯定感」の本では、この「自己肯定感が低い」という子供の頃の発作を「過去を変える!」という方法で止めちゃう~!という手法が書いてあって、私がやったら「あ!本当に36年間自己肯定感が低かったんだ!」となってそれが変わったからびっくり(自己肯定感が低くなくていいんだ!と本気で思えるようになりました)。
マウンティング自体は「動物的な発作」だったら、その言動はゴリラが胸を叩いているドラミングと一緒で「その言葉には深い意味がない!」なんですよね。
でも、その言葉を真に受けて意味を考えてしまうのが「マウンティングされる側の発作」になります。
「嫉妬と劣等感」の本ではその発作を起きなくする手法が書かれています。
相手がマウンティングをしてきた時に「私が悪いから相手がこんなことを言ってくる!」という反省の発作が起きなければ「相手のマウンティングが起きなくなった!」という現象が起きます。
自己反省も発作だったなんて(青山ライフの原稿を書いてよかった~!書かなきゃ気がつかなかった~!)。
そして、あの印が出てきます。
明日、あの印の形に込められたスクリプトを書いちゃいます。
(つづく)
24/11/08
24/10/18
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「嫉妬をエネルギーに変える!」×7はいいかも!
今朝も「う~!だるくて走れない!」と思っていたのですが「嫉妬をエネルギーに変える!」×7を唱えていたら「ちょっと走っていいかも!」となって、いつのまにか結構な速度で走っていました。
嫉妬の発作って「自分よりも下の立場の人間が自分よりも優れたものを持っている」という条件で起きちゃいます。
日曜日の朝にサーフィンに行って「波がすごくて全然乗れない!」と3時間以上も挑戦して「チ~ン!」となって、それから動けなくなっていました。月曜日も朝1時間だけサーフィンに行ったけど「身体が全然動かない!」とせっかく行ったのに全然乗れず「あ~あ!」と落ち込んでいると「どんどん体が苦しくなっていく!」という面白い現象。
普通だったら「普段の溜まったストレスが休みで気が緩んだから一気に感じられるようになったんでしょう!」とか「体力的に無理をしすぎたからそんな状態になったんでしょう!」という解釈になります。
私も本気でそう思っていて「う~!全身が痛い!」と悶え苦しんでいました。
でも、面白いのは「嫉妬をエネルギーに変える!」と唱えたら「あれ?あんなに調子が悪かったのが軽くなった!」となるから不思議。
体がボロボロで10キロなんて走れない!と思っていたけど「あれ?唱えたら走っている!」となるから「ほんとに脳のネットワークで嫉妬の影響を受けていたのかも?」と思うわけです。
「自分はダメだ!」と下の立場になった時に、脳のネットワークで繋がっている人たちから、一斉に「ビビビッ~!」と電気が飛んできて「ヒエ~!」となる。
それでダメージを受けて「自分は弱っているかも!」と思ってしまって、その身体的な苦痛を自分のものにしてしまったら「弱者!」というのがネットワークで伝わって、さらに「ビビビッ~!」と嫉妬の電気が飛んできて「ヒエ~~!」とますます調子が悪くなり、ダメージを受け続けちゃう。
その「ビビビッ~!」と飛んでくる嫉妬の電気をエネルギーに変えちゃう、という面白い考え方。
巷には「マウンティング」という言葉があるみたいで「へ~!」となる。
要するにママ友なんかで「弱者!」をちょっとでも演じてしまうとマウンティングする人が劣等感や嫌悪感を感じさせる言動をしてくる。それは単純に「嫉妬の発作」を起こしているから。
マウンティングをしてくるママ友が「話題を奪う!」ということをしたり「自慢話に変わっている!」という感じになるのは「自分の方が上!あんたの方が下!」ということをやりたいがため、と解釈をしているみたいですね。
他には「褒めているのにその褒め方に棘がある~!」というマウンティングの仕方もあるみたい。
マウンティングというのはうまく表現していますよね。
要するに嫉妬って「動物的な発作」だから動物的な行動にたとえて「マウンティング」と呼んでいるのかも。
マウンティングされちゃうのは「嫉妬されやすい人」になりますね。
嫉妬の条件を満たす「弱者」を演じてしまうのは「自己肯定感が低いから」ということで一般的には「自分を持っていない」という表現になるのかもしれません。
「自己肯定感が低い」とか「自分を持っていない」というのは、常に他人の気持ちを考えて優先してしまうタイプの人。
このタイプの人は「自己肯定感が低い方が嫉妬されない」という間違った考え方を一番身近な人間(親など)から条件づけられてしまった。
常に相手の気持ちを考えて行動した方が「嫉妬の攻撃という痛い目に合わないで済む」という間違ったことを信じちゃっていたんですよね。
本当に幼少期からこれが親(身近な人)によって条件づけられてしまっているから、この考え方が間違っている、ということを疑いもしません(私がそうでした。つい最近まで。アハハ~!)。
そして、他人を優先すればするほど、周囲の嫉妬の発作は酷くなり、その攻撃により「劣等感や人に対する嫌悪感」が酷くなる~!という現象が起きます。
劣等感や嫌悪感がひどくなればなるほど、自己肯定感が低くなるから「悪循環じゃ~!」ということになるのだけど本人は決してそれに気づけない。
なぜ気がつけないのか?というと、この「劣等感や嫌悪感」を感じている時に「脳内では発作が起きている~!」という状態になっているから。
発作が起きていると「学習できない!」となる(いや、ほんとうに私は勉強ができなかったな~!ってそっちかい!でも、真面目にそれも発作が関係しています)。
最近の言葉では「マウンティングされる」という状態も発作を起こしてしまうんですね。
「自己肯定感が低い」とか「自分がない」という状態が発作状態で「ビビビッ~!」と電気が脳に過剰に流れていて「相手にやられるままになってしまう~!」と自分の意志の力で抗えなくなる。抗えなくなる、というのが発作が起きている状態。
「自己肯定感」の本では、この「自己肯定感が低い」という子供の頃の発作を「過去を変える!」という方法で止めちゃう~!という手法が書いてあって、私がやったら「あ!本当に36年間自己肯定感が低かったんだ!」となってそれが変わったからびっくり(自己肯定感が低くなくていいんだ!と本気で思えるようになりました)。
マウンティング自体は「動物的な発作」だったら、その言動はゴリラが胸を叩いているドラミングと一緒で「その言葉には深い意味がない!」なんですよね。
でも、その言葉を真に受けて意味を考えてしまうのが「マウンティングされる側の発作」になります。
「嫉妬と劣等感」の本ではその発作を起きなくする手法が書かれています。
相手がマウンティングをしてきた時に「私が悪いから相手がこんなことを言ってくる!」という反省の発作が起きなければ「相手のマウンティングが起きなくなった!」という現象が起きます。
自己反省も発作だったなんて(青山ライフの原稿を書いてよかった~!書かなきゃ気がつかなかった~!)。
そして、あの印が出てきます。
明日、あの印の形に込められたスクリプトを書いちゃいます。
(つづく)