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〒105-0021 東京都港区東新橋2-16-3カーザベルソーレ4F
営業時間/AM10:00~PM18:00 定休日/日・祝
面倒臭~い!
ある原稿を書いていて「あれ?突然書けなくなった!」となった時に、その担当の編集者さんが「退職することになりました!」という連絡が入った。
本の原稿って、その担当者さんの脳を使っているから、編集者さんの脳に左右されてしまう。
そして、新しい担当者です!と紹介されて「え~?これまでの原稿と全然違ってきちゃうじゃん!大丈夫かな?」と不安になる。
その原稿って「NO!と言えない日本人」という感じの内容なのですが、新しい編集者さんは「え?私は平気でNO!って断れますけど!」ときっぱり言われてしまって「え~?」となった。
これまでの原稿って、編集者さん自身が「自分も変わりたい!」という希望があって「本が進むほど編集者さんも私も変わっていく!」という流れ。
だから、書いていけばいくほど「出世した!」とか「会社がどんどん豊かになった!」や「美しくなったぞ!」となったり「恋愛ができるようになりました!」という感じになっていた(「いいな~!」ってあんたが嫉妬するな!)。
新しい編集者さんは、悩みがない様子で「どうするの?この原稿?」と。
とりあえず、新しい編集者さんの脳のネットワークに繋がる必要があるので「今はどんな原稿を作っているんですか?」と編集者さんの頭の中をのぞいてみることにした(前の担当者さんにつながったままだと「やる気がな~い!」となってしまうから)。
すると「今、担当している原稿は”お金持ちになるための本”です!」って。
私の中で「え~?私はこの話題から逃げられないの?」とちょっとびっくり。
どうやら、お金持ちになる人と、貧乏な人の差みたいなことを書いているみたい。
お金持ちになれる人って「今年中に100万円貯める!」と目標を持てば、そのために努力を惜しまない。
貧乏な人って「貯めるのは無理!」と最初から諦めムード。
四十円の価格差があるものでも、貧乏な人って「たった四十円だから面倒臭い」、「そんなちょっとのお金を節約したってお金はたまらない!」と思ってしまうんですって。
お金がたまる人って「四十円を10回で四百円になる」となり「4百円を10回で4千円」というような感じで、40万円、さらに400万まで貯められちゃう(なるほどね!)。
学生の頃に心理学の実験で「殻付きのピーナッツを太っている人と痩せている人ではどっちがたくさん食べたでしょうか?」というのがありました。
常識的に考えたら「太っている人の方が多く食べた!」という答えになりそうな感じじゃないですか。
でも、この実験の結果では「痩せている人の方が多く食べた!」となったんですね。
殻がむいてあるピーナッツの場合は「太っている人の方が痩せている人よりも大量に食べた」という結果が。
多分、お金がたまらない人も、体重を気にしちゃう人も「面倒臭がり」というのが問題になるわけですね。
「そんなちまちまお金を貯めるのは面倒臭い!」とか「ピーナッツの殻を剥くのは面倒臭い!」ってね。
この「面倒臭い!」というのがとっても重要なポイントになります。
ここで「真実を見極める力」に戻ってきます。
私は、キリスト教の家庭で育ちました(大変だった~!)。
そして、私は本当にアホだったので「神が存在していて万能だったら、神が私を勉強ができるようにしてくれるに違いない!」と本気で思っていました。
これを人は「他力本願」と言います。
自分でちっとも勉強する努力をしないで「神が私を助けてくれるに違いない!」ってね!
なぜ、そんなアホな子になってしまったのか?
それは、もう幼い頃から「人間の愛」に失望してしまったから。
傷ついて、泣き叫んでも「誰も助けてくれない!」と苦しみが増すばかり。
私の幸せを望んでくれる者は誰もいなくて、それに絶望して傷つき苦しみます。
この苦しみを他の人に感じさせたくなくて、必死に人の幸せを願い続けて生きてきました。
この苦しみを感じている小さな存在が人の幸せを願ったからといって、変えられるわけがないんですね。
だから、世の中を動かしているであろう「神」という存在を信じて「全てを幸せな方向へと自動的に導いてくれる」と思っていたんです。
でも、いくら私が信じても「勉強ができるようにはならない!」とどんどん惨めな生活になっていくだけ。
それでも、私は自分ではちっとも努力をしないで「神がなんとかしてくれるに違いない」と心のどこかで信じていました。
だから、勉強をしようとすると「面倒臭い!」となってしまうんです。
さあ!ここで「面倒臭い!」が出てきましたね!!!
この「面倒臭い!」って感覚は、実は「嫉妬されている時!」に感じる感覚なんです。
友達の結婚式に招待されて「出欠の確認」というはがきを出すときにも「面倒臭い!」といつまでも出すことができませんでした。
結局、出すことができなくて、友人から電話がかかってきてしまいました(「なんて失礼な奴なんでしょう!」私って!)。そして結婚式の当日も「面倒臭い!なんで行くっていっちゃったんだろう?」とドナドナの気持ちになって式場に行って帰ってきたら「あ!この感覚!嫉妬されるから”めんどくさい”となっていたんだ!」ということがわかります。
要するに招待された時点で、私は、その結婚式に参加したときに、周囲の人たちから嫉妬の「ビビビッ!」の攻撃を受けちゃっている自分の脳と脳のネットワークでつながってしまいます。
脳のネットワークは光よりも速くて時空を超えるから、式に参加したときの自分の脳とつながって「ビビビッ!」と嫉妬に感電しちゃうから「面倒臭い!」となる。
あの子供の私は「神の奇跡の力で頭が良くなりたい!」と願っていました。
人間には完全に失望していて苦しみしか与えてくれない、というのが苦しみの中でわかっていたから。
人間の愛に失望すればするほど、その裏にある「真実の愛」に触れるような気がするんです。
その愛は「100%私の幸せのために存在している」というもの。
その愛が私を幸せにしてくれるはずなのに、どうして私はこんなに惨めで醜い存在になっているんだ!と怒っていました。
でも、この私の「神」という概念を抜いたとしても「真実」って存在していて、私たちが自分で努力をしなくても幸せにしてくれる、という流れがあります。
人間の中には真実がなくて、それ以外に大きな流れがあって、その流れに乗ったときに「幸せ!」になれるんです。
でも、問題は「真実」を掴んだときの周囲からの嫉妬なんです。
「真実を見極める力」が低い人たちは「幸せそう!」に生きています。
だから「自分たちが上!」と思っているんですよね。
そして「真実を見極める力」が高い人たちは、苦しみを感じてもがいているわけですから、低い人たちからは「下」とみられています。
ここで嫉妬の条件が揃っています。
「真実を見極める力」が高い人が「真実」を手に入れた時点で、脳のネットワークを通じて周囲に「あいつは真実を手に入れやがった!」という嫉妬の発作が一斉に起きますから「ビビビッ!」と感電させられちゃう。
「面倒臭い!」と感じるのがこれ。
一人で机の前に座っているときに「面倒臭い!」と感じる私は怠け者?とずっと疑問に思っていました。
「集中できないダメ人間」とか「やる気がないダメ人間」と自分を責めていました。
これは「脳のネットワークが時空を超える」ということで、勉強をし続けてしまった自分の脳とつながったときに「嫉妬の電気ショックが!」となるから「面倒臭い!」と動けなくなる。
「面倒臭い!」でダメ人間になればなるほど「人間の愛に失望」することになる。
だって、誰からも相手にされないし、認められないし、尊敬なんてとんでもない!という感じ。
いつもバカにされて、卑下されて、そして足で踏みつけられる毎日。
そりゃー、真実にしか目が向けられなくなるでしょ。
でも、この現象は、心理学的にも脳神経学的にも多分、説明がつくと思います。
苦しみを感じているから「幻想の世界に浸ってしまう」とね。
私は、こういう分析を聞いているときに「面倒臭い!」と思うから「これって専門家の嫉妬なんじゃん!」と思うんです。
「真実を見極める力」というのが無いから「真実なんか手に入れたら嫉妬しちゃうから!ビビビッ!」という感じね。
多分「勉強する努力をしなきゃいけないんだ!」と思ってしまうのも嫉妬の電流に感電しちゃっているから。
勉強自体が「ハードルの高いもの」という感じで自分の前に立ちふさがっているもの、という感覚自体が「周りの人の嫉妬の電気ショックのバリケード」なんです(幸せの方向なんかに行かせないから!)。
今振り返ってみると、あの子供の私は、本当は勉強が大好きだった。
なぜなら、私が信じていた真実がそれを通じて私に幸せを与えてくれるから。
周りの人たちは、その幸せに嫉妬して電流を流してくれて、それを阻もうとしてくださる。
「面倒臭い!」ってとっても面白いんです。
(つづく)
本のレビューを書いてくださって本当にありがとうございます!!
とっても嬉しいです!
みなさんとつながっている喜びが感じられて、このブログを書くことが止まりません。
書いていて、皆さん脳って本当にすごいな~!と思うんです。
どの先どこに行くんでしょうか?
未知なる真実の世界へと、皆さんの素敵な脳に導かれていきます。
感謝!!
大嶋 信頼
24/11/08
24/10/18
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ある原稿を書いていて「あれ?突然書けなくなった!」となった時に、その担当の編集者さんが「退職することになりました!」という連絡が入った。
本の原稿って、その担当者さんの脳を使っているから、編集者さんの脳に左右されてしまう。
そして、新しい担当者です!と紹介されて「え~?これまでの原稿と全然違ってきちゃうじゃん!大丈夫かな?」と不安になる。
その原稿って「NO!と言えない日本人」という感じの内容なのですが、新しい編集者さんは「え?私は平気でNO!って断れますけど!」ときっぱり言われてしまって「え~?」となった。
これまでの原稿って、編集者さん自身が「自分も変わりたい!」という希望があって「本が進むほど編集者さんも私も変わっていく!」という流れ。
だから、書いていけばいくほど「出世した!」とか「会社がどんどん豊かになった!」や「美しくなったぞ!」となったり「恋愛ができるようになりました!」という感じになっていた(「いいな~!」ってあんたが嫉妬するな!)。
新しい編集者さんは、悩みがない様子で「どうするの?この原稿?」と。
とりあえず、新しい編集者さんの脳のネットワークに繋がる必要があるので「今はどんな原稿を作っているんですか?」と編集者さんの頭の中をのぞいてみることにした(前の担当者さんにつながったままだと「やる気がな~い!」となってしまうから)。
すると「今、担当している原稿は”お金持ちになるための本”です!」って。
私の中で「え~?私はこの話題から逃げられないの?」とちょっとびっくり。
どうやら、お金持ちになる人と、貧乏な人の差みたいなことを書いているみたい。
お金持ちになれる人って「今年中に100万円貯める!」と目標を持てば、そのために努力を惜しまない。
貧乏な人って「貯めるのは無理!」と最初から諦めムード。
四十円の価格差があるものでも、貧乏な人って「たった四十円だから面倒臭い」、「そんなちょっとのお金を節約したってお金はたまらない!」と思ってしまうんですって。
お金がたまる人って「四十円を10回で四百円になる」となり「4百円を10回で4千円」というような感じで、40万円、さらに400万まで貯められちゃう(なるほどね!)。
学生の頃に心理学の実験で「殻付きのピーナッツを太っている人と痩せている人ではどっちがたくさん食べたでしょうか?」というのがありました。
常識的に考えたら「太っている人の方が多く食べた!」という答えになりそうな感じじゃないですか。
でも、この実験の結果では「痩せている人の方が多く食べた!」となったんですね。
殻がむいてあるピーナッツの場合は「太っている人の方が痩せている人よりも大量に食べた」という結果が。
多分、お金がたまらない人も、体重を気にしちゃう人も「面倒臭がり」というのが問題になるわけですね。
「そんなちまちまお金を貯めるのは面倒臭い!」とか「ピーナッツの殻を剥くのは面倒臭い!」ってね。
この「面倒臭い!」というのがとっても重要なポイントになります。
ここで「真実を見極める力」に戻ってきます。
私は、キリスト教の家庭で育ちました(大変だった~!)。
そして、私は本当にアホだったので「神が存在していて万能だったら、神が私を勉強ができるようにしてくれるに違いない!」と本気で思っていました。
これを人は「他力本願」と言います。
自分でちっとも勉強する努力をしないで「神が私を助けてくれるに違いない!」ってね!
なぜ、そんなアホな子になってしまったのか?
それは、もう幼い頃から「人間の愛」に失望してしまったから。
傷ついて、泣き叫んでも「誰も助けてくれない!」と苦しみが増すばかり。
私の幸せを望んでくれる者は誰もいなくて、それに絶望して傷つき苦しみます。
この苦しみを他の人に感じさせたくなくて、必死に人の幸せを願い続けて生きてきました。
この苦しみを感じている小さな存在が人の幸せを願ったからといって、変えられるわけがないんですね。
だから、世の中を動かしているであろう「神」という存在を信じて「全てを幸せな方向へと自動的に導いてくれる」と思っていたんです。
でも、いくら私が信じても「勉強ができるようにはならない!」とどんどん惨めな生活になっていくだけ。
それでも、私は自分ではちっとも努力をしないで「神がなんとかしてくれるに違いない」と心のどこかで信じていました。
だから、勉強をしようとすると「面倒臭い!」となってしまうんです。
さあ!ここで「面倒臭い!」が出てきましたね!!!
この「面倒臭い!」って感覚は、実は「嫉妬されている時!」に感じる感覚なんです。
友達の結婚式に招待されて「出欠の確認」というはがきを出すときにも「面倒臭い!」といつまでも出すことができませんでした。
結局、出すことができなくて、友人から電話がかかってきてしまいました(「なんて失礼な奴なんでしょう!」私って!)。そして結婚式の当日も「面倒臭い!なんで行くっていっちゃったんだろう?」とドナドナの気持ちになって式場に行って帰ってきたら「あ!この感覚!嫉妬されるから”めんどくさい”となっていたんだ!」ということがわかります。
要するに招待された時点で、私は、その結婚式に参加したときに、周囲の人たちから嫉妬の「ビビビッ!」の攻撃を受けちゃっている自分の脳と脳のネットワークでつながってしまいます。
脳のネットワークは光よりも速くて時空を超えるから、式に参加したときの自分の脳とつながって「ビビビッ!」と嫉妬に感電しちゃうから「面倒臭い!」となる。
あの子供の私は「神の奇跡の力で頭が良くなりたい!」と願っていました。
人間には完全に失望していて苦しみしか与えてくれない、というのが苦しみの中でわかっていたから。
人間の愛に失望すればするほど、その裏にある「真実の愛」に触れるような気がするんです。
その愛は「100%私の幸せのために存在している」というもの。
その愛が私を幸せにしてくれるはずなのに、どうして私はこんなに惨めで醜い存在になっているんだ!と怒っていました。
でも、この私の「神」という概念を抜いたとしても「真実」って存在していて、私たちが自分で努力をしなくても幸せにしてくれる、という流れがあります。
人間の中には真実がなくて、それ以外に大きな流れがあって、その流れに乗ったときに「幸せ!」になれるんです。
でも、問題は「真実」を掴んだときの周囲からの嫉妬なんです。
「真実を見極める力」が低い人たちは「幸せそう!」に生きています。
だから「自分たちが上!」と思っているんですよね。
そして「真実を見極める力」が高い人たちは、苦しみを感じてもがいているわけですから、低い人たちからは「下」とみられています。
ここで嫉妬の条件が揃っています。
「真実を見極める力」が高い人が「真実」を手に入れた時点で、脳のネットワークを通じて周囲に「あいつは真実を手に入れやがった!」という嫉妬の発作が一斉に起きますから「ビビビッ!」と感電させられちゃう。
「面倒臭い!」と感じるのがこれ。
一人で机の前に座っているときに「面倒臭い!」と感じる私は怠け者?とずっと疑問に思っていました。
「集中できないダメ人間」とか「やる気がないダメ人間」と自分を責めていました。
これは「脳のネットワークが時空を超える」ということで、勉強をし続けてしまった自分の脳とつながったときに「嫉妬の電気ショックが!」となるから「面倒臭い!」と動けなくなる。
「面倒臭い!」でダメ人間になればなるほど「人間の愛に失望」することになる。
だって、誰からも相手にされないし、認められないし、尊敬なんてとんでもない!という感じ。
いつもバカにされて、卑下されて、そして足で踏みつけられる毎日。
そりゃー、真実にしか目が向けられなくなるでしょ。
でも、この現象は、心理学的にも脳神経学的にも多分、説明がつくと思います。
苦しみを感じているから「幻想の世界に浸ってしまう」とね。
私は、こういう分析を聞いているときに「面倒臭い!」と思うから「これって専門家の嫉妬なんじゃん!」と思うんです。
「真実を見極める力」というのが無いから「真実なんか手に入れたら嫉妬しちゃうから!ビビビッ!」という感じね。
多分「勉強する努力をしなきゃいけないんだ!」と思ってしまうのも嫉妬の電流に感電しちゃっているから。
勉強自体が「ハードルの高いもの」という感じで自分の前に立ちふさがっているもの、という感覚自体が「周りの人の嫉妬の電気ショックのバリケード」なんです(幸せの方向なんかに行かせないから!)。
今振り返ってみると、あの子供の私は、本当は勉強が大好きだった。
なぜなら、私が信じていた真実がそれを通じて私に幸せを与えてくれるから。
周りの人たちは、その幸せに嫉妬して電流を流してくれて、それを阻もうとしてくださる。
「面倒臭い!」ってとっても面白いんです。
(つづく)
本のレビューを書いてくださって本当にありがとうございます!!
とっても嬉しいです!
みなさんとつながっている喜びが感じられて、このブログを書くことが止まりません。
書いていて、皆さん脳って本当にすごいな~!と思うんです。
どの先どこに行くんでしょうか?
未知なる真実の世界へと、皆さんの素敵な脳に導かれていきます。
感謝!!
大嶋 信頼