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仲間に入るのは結構簡単!
そろそろ学年が変わったり、職場が変わったりして「新しい環境に入る!」という状況がやって来ますね!
「新しいところにはどんなやつがいるんだろう?」とドキドキしていたものです。
「仲間に入らなきゃ!」とか「馴染まなきゃ!」ということで「ドキドキ~!」という感じ。
私の場合は、いいドキドキじゃなくて、苦しいドキドキでしたけどね。
「自分は絶対に仲間に入ることができない!」という感じ。
何かトラブルがあって「仲間外れにされる~!」という怯えがありました。
ここでのポイントは「自分だけ緊張して怯えている」となると「孤独」を感じてしまうので「ビビビッ!」という発作で「怠惰レンジャー!」に変身しちゃいます。
怠惰レンジャーに変身すると、全てが面倒くさくなってしまって、積極的に動くことができなくなるのだ!(ヒーローの解説風に)。
グループを作って話し合い、というところでも「怠惰レンジャー」ですから、積極的に「一緒にやろうか!」とならないから「一人だけ残っちゃう!」となります。
怠惰レンジャー!の思考としては「やっぱり誰も自分のことを入れてくれない!」といじけた気持ちになっていますが、他の人から見たら、ふてくされた態度で「どうして自分から積極的に行かないんですか!」という感じになってしまうんですね。
でも「孤独」で発作を起こしちゃって怠惰レンジャーに変身しちゃっているから「やっぱり自分は誰からも受け入れられない存在なんだ!」とそれがまるで現実のように思えちゃうんですね。
あの時の心理状態って、今振り返ると本当に面白いです。
「積極的に“仲間に入れて!”と自分から行って拒絶されたらみっともない!」というのもありました(みっともない、は「体裁が悪い」とか「見苦しい」の意味です)。
私の場合は「仲間外れにされてしまったら、母親に申し訳ない」というのが常にありましたね。
みんなから仲間外れにされて醜い子供になっていて、母親を悲しませている、という状況が一番苦しかったんです。
これを想像する時点で「母親を悲しませる」ということは「母親を失望させて私は孤独になる」ということですから、ますます「ビビビッ!」の発作がひどくなって「頭が真っ白になって考えられない!」となってしまいます。
そして、涙目になって「なんだよ!なんで仲間に入れてくれないんだよ~!」と人のせいにしてしまう怠惰レンジャー!がパワーアップしてしまっていたんですね。
そんなことを振り返っていると、一つのパターンが見えて来ます。
それは、私が常に「不快」を選択してしまって「快」に目がいかなかった、ということ。
「仲間に入らなきゃ!」とか「みんなと馴染まなきゃ!」というのは、実はストレスで「不快」なんですよね。「不快」なことを一生懸命にやることで「自分の感覚が麻痺しちゃう!」という現象が起きます。「快」の感覚がわからなくなるんですよね。
そして「不快」を選択している私の思考は「不快」なことしか考えられなくなります。
「仲間外れにされる」とか「拒絶される」そして「母親を悲しませる」や「母親を失望させてしまう」などですよね。
今考えてみると、気持ち悪い汚物がたくさんある洗面器の中に「手を突っ込んで!」と言われて、突っ込んでしまって「う~!ブルブル!」と身震いがする感じで、寒気を感じ、というように、脳が「不快」を選択した時に「う~!ブルブル!」と痙攣発作のようになっているから「不快なことしか考えられない!」という脳の発作状態が起きちゃうんです。
だったら、最初から「快」を選択すればいい!ということになります。
私の場合は「快」を選択したら「母親に申し訳ない」という変な遠慮がありましたね。
いつも苦しんでいる母親の姿がありましたから、自分が「快」を選択してはいけないのでは、と思って選択できませんでした。
でも、これって「親からの嫉妬」が関係していたって最近まで気がつきませんでした。
姑からいじめられて、夫は庇ってくれない、という「孤独」な状態で母親は「ビビビッ!」という感じで「嫉妬レンジャー!」に変身しちゃって、私が楽しそうにしていると「なんでもっとちゃんとできないの!」とひっぱたかれる。
「楽しそうにしていると」嫉妬の発作で「ひっぱたかれる!」ということで「自分は悪い子!」という条件づけがなされてしまいます。怖くて「楽しい(快)」を選択できなくなるのが条件づけなんですね(条件づけは、パブロフの犬みたいにベルで餌が与えられて涎が出る。そのうちにベルだけでよだれが出る、というやつです)。
私の場合は「快」自体に「孤独」が条件づけられていたから「選択しようとすると発作を起こして怠惰レンジャーに変身してまうやろ!」となります。
ここで単純に考えたら「快!」を選択しちゃえばいいじゃない!となるわけです。
「あの人と一緒にやったら楽しそう!」とか「あいつ面白そう!」という感じで「快!」に注目を向ければいい。
「不快」は捨てて「快」だけを選択しちゃえば「楽しい!」となって周りもみんな「一体感」を共に感じられるから、「孤独」を感じて「へ~んしん!」とする人もいなくなって「さらに一体感が強くなった!」という感じになるはずなんです。
私が「快」を選択する、ということが全体に影響を及ぼして、みんなが変身しないで一般人のまま楽しく過ごすことができる。
そうなんです。
「自己犠牲」や「ヒーローになって人を救う」ということは一切必要ないんですよね。
そこには私の「快」が存在していなかったから。
(つづく)
24/11/08
24/10/18
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そろそろ学年が変わったり、職場が変わったりして「新しい環境に入る!」という状況がやって来ますね!
「新しいところにはどんなやつがいるんだろう?」とドキドキしていたものです。
「仲間に入らなきゃ!」とか「馴染まなきゃ!」ということで「ドキドキ~!」という感じ。
私の場合は、いいドキドキじゃなくて、苦しいドキドキでしたけどね。
「自分は絶対に仲間に入ることができない!」という感じ。
何かトラブルがあって「仲間外れにされる~!」という怯えがありました。
ここでのポイントは「自分だけ緊張して怯えている」となると「孤独」を感じてしまうので「ビビビッ!」という発作で「怠惰レンジャー!」に変身しちゃいます。
怠惰レンジャーに変身すると、全てが面倒くさくなってしまって、積極的に動くことができなくなるのだ!(ヒーローの解説風に)。
グループを作って話し合い、というところでも「怠惰レンジャー」ですから、積極的に「一緒にやろうか!」とならないから「一人だけ残っちゃう!」となります。
怠惰レンジャー!の思考としては「やっぱり誰も自分のことを入れてくれない!」といじけた気持ちになっていますが、他の人から見たら、ふてくされた態度で「どうして自分から積極的に行かないんですか!」という感じになってしまうんですね。
でも「孤独」で発作を起こしちゃって怠惰レンジャーに変身しちゃっているから「やっぱり自分は誰からも受け入れられない存在なんだ!」とそれがまるで現実のように思えちゃうんですね。
あの時の心理状態って、今振り返ると本当に面白いです。
「積極的に“仲間に入れて!”と自分から行って拒絶されたらみっともない!」というのもありました(みっともない、は「体裁が悪い」とか「見苦しい」の意味です)。
私の場合は「仲間外れにされてしまったら、母親に申し訳ない」というのが常にありましたね。
みんなから仲間外れにされて醜い子供になっていて、母親を悲しませている、という状況が一番苦しかったんです。
これを想像する時点で「母親を悲しませる」ということは「母親を失望させて私は孤独になる」ということですから、ますます「ビビビッ!」の発作がひどくなって「頭が真っ白になって考えられない!」となってしまいます。
そして、涙目になって「なんだよ!なんで仲間に入れてくれないんだよ~!」と人のせいにしてしまう怠惰レンジャー!がパワーアップしてしまっていたんですね。
そんなことを振り返っていると、一つのパターンが見えて来ます。
それは、私が常に「不快」を選択してしまって「快」に目がいかなかった、ということ。
「仲間に入らなきゃ!」とか「みんなと馴染まなきゃ!」というのは、実はストレスで「不快」なんですよね。「不快」なことを一生懸命にやることで「自分の感覚が麻痺しちゃう!」という現象が起きます。「快」の感覚がわからなくなるんですよね。
そして「不快」を選択している私の思考は「不快」なことしか考えられなくなります。
「仲間外れにされる」とか「拒絶される」そして「母親を悲しませる」や「母親を失望させてしまう」などですよね。
今考えてみると、気持ち悪い汚物がたくさんある洗面器の中に「手を突っ込んで!」と言われて、突っ込んでしまって「う~!ブルブル!」と身震いがする感じで、寒気を感じ、というように、脳が「不快」を選択した時に「う~!ブルブル!」と痙攣発作のようになっているから「不快なことしか考えられない!」という脳の発作状態が起きちゃうんです。
だったら、最初から「快」を選択すればいい!ということになります。
私の場合は「快」を選択したら「母親に申し訳ない」という変な遠慮がありましたね。
いつも苦しんでいる母親の姿がありましたから、自分が「快」を選択してはいけないのでは、と思って選択できませんでした。
でも、これって「親からの嫉妬」が関係していたって最近まで気がつきませんでした。
姑からいじめられて、夫は庇ってくれない、という「孤独」な状態で母親は「ビビビッ!」という感じで「嫉妬レンジャー!」に変身しちゃって、私が楽しそうにしていると「なんでもっとちゃんとできないの!」とひっぱたかれる。
「楽しそうにしていると」嫉妬の発作で「ひっぱたかれる!」ということで「自分は悪い子!」という条件づけがなされてしまいます。怖くて「楽しい(快)」を選択できなくなるのが条件づけなんですね(条件づけは、パブロフの犬みたいにベルで餌が与えられて涎が出る。そのうちにベルだけでよだれが出る、というやつです)。
私の場合は「快」自体に「孤独」が条件づけられていたから「選択しようとすると発作を起こして怠惰レンジャーに変身してまうやろ!」となります。
ここで単純に考えたら「快!」を選択しちゃえばいいじゃない!となるわけです。
「あの人と一緒にやったら楽しそう!」とか「あいつ面白そう!」という感じで「快!」に注目を向ければいい。
「不快」は捨てて「快」だけを選択しちゃえば「楽しい!」となって周りもみんな「一体感」を共に感じられるから、「孤独」を感じて「へ~んしん!」とする人もいなくなって「さらに一体感が強くなった!」という感じになるはずなんです。
私が「快」を選択する、ということが全体に影響を及ぼして、みんなが変身しないで一般人のまま楽しく過ごすことができる。
そうなんです。
「自己犠牲」や「ヒーローになって人を救う」ということは一切必要ないんですよね。
そこには私の「快」が存在していなかったから。
(つづく)