解説を書くのはとっても楽しい(いつもやらないことだから)

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解説を書くのはとっても楽しい(いつもやらないことだから)

大嶋信頼ブログ 緊張しちゃう人たち

2017/11/20 解説を書くのはとっても楽しい(いつもやらないことだから)

真面目な人のお金持ちになるためのスクリプトの解説をしています。

 

カウンセラーは基本、5つの診断というものを使っています(また難しい話だ~!)。

 

身体的な問題、精神的な問題、人格的な問題、そして社会的・家族的な問題、さらにはコミュニケーションの問題という5つの領域の“問題”を元に治療のプログラムを立てます。

 

真面目すぎる人がお金持ちになれない、というので「低血糖症の問題」と「強迫性障害(完璧主義)」があって、次は人格で「回避性パーソナリティー障害」というのがあるのでは?と考えるんです。

 

「回避性パーソナリティー障害」と読んでしまうと、なんとなく「あ!肝心な時に”逃げちゃう”タイプの人なんだ」という予測しちゃいます。

お金持ちになるためには「立ち向かわなければ」という場面があります。そんな時にも「ヒエ~!怖い~!」と逃げちゃっているからお金持ちになれないのかな?

仕事を続けて、虎視眈々とお金持ちになるチャンスを狙わなければいけないのですが「あの人意地悪だから嫌だ~!」と逃げちゃうのがそれ?と名前から想像を膨らませちゃいます。

 

でも、この「回避性パーソナリティー障害」で注目するべきなのは「自分なんかふさわしくない」という感覚なんです。

「自分は社会的に不適格で、魅力に欠けていて、笑われること、恥をかくこと、排除されること、嫌われることを極端に怖がり、そのために社会的交流を避けようとする」(ウィキペディアの「回避性パーソナリティー障害」から)。

 

お金持ちになるスクリプト(真面目な人編)の中でブランコを後ろから押してもらいたい、というのが出てきます。

 

子供は「もっと押して!押して!」とおねだりすることができますが「私なんかが押してもらったら申し訳ない」というのが、多分、回避性人格障害の人なんでしょうね。

「私なんかふさわしくない」という感覚から、誰かに押してもらって、私が楽しむことなんて、ふさわしくない、と思ってしまいます。「遠慮している」と周りの大人たちはとらえますが、遠慮じゃ無いんです。

 

「自分は押してもらうことなんかふさわしくない」と思っているのですが「誰も私のことを押してくれない!」という怒りは十分にあります。

 

一般の人がこれを聞いたら「あんた!言っていることが矛盾しているけど!」と。でも回避性パーソナリティー障害の人にとっては感覚的な矛盾はないんです。

 

誰も、温かい手で優しくブランコに乗る私の背中を押してくれなかったんです。

でも、押してもらったとしても「私にはその価値がない」とすぐに辞退してしまうんです。

 

多分、押してくれる相手が飽きてしまって「なんでいつまでも押させるんだ!」と嫌われちゃったり、相手を信頼したら、全く違う意図で背中を押していたので「恥をかいてしまった」というのが怖いから、相手に背中を任せることができないんでしょうね。

 

そんな寂しい幼少時代の自分に優しく背中を押してあげられる人がここにいたんです。

 

そうなんです、時空を超えて、鉄棒で冷たくなった手をその幼い自分の背中に触れた時に、期待と不安の入り混じった温かさを感じ、そして、その背中を押すたびに、冷めた手がどんどん温まって、そして、その子を高く、もっと高く、と押してあげることができるんです。

 

その手の温かさは、いつのまにか私の背中にと伝わってきて、ふっとした場面で私の後押しをしてくれます。

 

そう、いつもだったら入ることができなかった会話の中に、温かい手が押してくれて「あ!楽しい!」って感じさせてくれます。

 

社会的・家庭的問題については「景気が良くなってきている」とニュースで流れるけど「ちっとも自分の経済的には変わらないじゃないか!」というのが考えられます。

周りの人が変わっているのに「自分だけが変わっていない!」というのはものすごいストレスなんですよね。

そのストレスでますます血糖値の問題が起きたり、自己免疫の暴走が誘発されて強迫性障害がひどくなるやんけ!という感じになるんです。

 

「貧乏暇なし」と言いますが、時間が全くなくて、何をやるにしてもお金がかかって「貧乏になる~!」という感覚に取り憑かれてしまいます。

 

周りの人の状況が良くなっていることが見える人ほど「なんで私は!」と貧乏くじを引かされている感覚で、ますます悪循環になってしまう可能性がある。

 

だから、誰もいない公園で楽しむ、ということなのかもしれませんね。

楽しむ、って実際に身体を動かして楽しむことだけではないんです。

そう、そこに幼かった頃の自分を想像して、その自分が無邪気に遊んでいる場面を優しい目で見ることも「楽しむ」ということなのかもしれません。

 

今現在「無意識」ということを題材に本を書いていますが、無意識って「そこにないものをイメージする」ということで発動するんですよね。そこにないもの、って、そこにいる幼い自分を想像すること。その自分を自由に想像の中で遊ばせる、ということをすればするほど無意識が活発になり「無敵!」になります。

 

そうなんです「なんで自分ばっかり貧乏くじを」と現実を見ていた時は、意識だけが働き、目の前に灰色の壁があるような感じになりますが、無意識が活発になると「あ!こんなことも、あんなこともできるんだ!」とどんどん可能性が見えてきます。

 

それだけじゃなくて、無意識は、いつのまにか不思議なことを巻き起こしてくれるんです。

 

「お~!無意識ってすげ~!」っていうようなことを。

 

無意識を活発にするために、ものすごく遊びたくなったりするんです。

 

 

コミュニケーション能力も書きたいのですが、時間がなくなってしまいました。

 

みなさんと一緒に書いていると楽しいです。

 

時間があっという間に過ぎてしまいます。

 

いつもありがとうございます。

 

「ずるい人」が周りからいなくなる本(青春出版社)のレビューを書いてくださってありがとうございます。

 

ずるい人が気にならなくなる、と書いてくださってありがとうございます。正義感が強いって、わかります~!いつまでも頭に残っていてグルグルって悪夢ですよね。言葉を唱えたら、ムカムカがおさまり、自然と気持ちが穏やかになった、ってうれしいです!!やった~!「自分の制限をなくして楽しい人生」っていいですね!どんどん制限が無くなっていったらいいですね!私もこれから頑張って書いていきます。私も一緒の日本に生まれてよかったです!!いつも応援してくださってありがとうございます。

 

感謝!!

 

大嶋 信頼

 

 

 

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