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〒105-0021 東京都港区東新橋2-16-3カーザベルソーレ4F
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ミケランジェロの絵は素敵
ある女性が「先生!すごいんです!私、先生におしっこをかけられる夢を見たんです!」と興奮しておっしゃった。
これだけ聞いたら「このかた、危ない人かも!」と思うでしょ。
その方は、朝になって「なんであんな変な夢を見たのかな?」と悩みながら、このブログを読んだら「あ!お水を一生懸命に飲んで結石を出そうとしていた先生の脳と繋がったんだ!」ということがわかって「なるほど!」と腑に落ちたんです(おかげさまであれから石はちゃんと出ました!やった~!ナンノコッチャ!)。
これって面白いですよね。
私たちって、夢を見たら「自分が抱いている願望とか妄想」なんて思ってしまって「自分のもの!」としていろいろ分析してしまいます。
でも、脳のネットワークで他人の脳と繋がっている、ということを知っているのと知らないのとでは、その分析の内容が全然違ってきてしまいますよね。
「夢は自分のもの」として勝手に分析してしまったらとんでもないことになってしまいます。
普段の不快な思考も同じだったりします。
電車に乗って、突然嫌なことを思い出したりします。
「ムムム!なんであいつは!」と職場で失礼なことを言われた場面を思いだしたら、大抵人は「あの場であいつにガツンと言ってやらなかったから怒りが消えないんだ!」とか「こんな終わったことをまだ引きずっちゃう器の小さな自分がいる」なんて考えてしまいます。
そんな風に分析してしまうと「怒りがちっとも消えなくて、嫌なことがどんどん浮かんできちゃう!」となってしまうんです。
ここで「いつも誰かに振り回される」が一瞬で消える方法(すばる舎)に書いてある「心に聞く!」という方法を使ってみます。
自問自答のような感じだけど、質問の冒頭に「心よ!」とつけるだけ。
ちょっと上級者だったら「心よ!私と心の間に邪魔がある?」と確認してから「ないよ!」と心からの返答があってから質問をします。
「心よ!今感じている怒りは私の怒りなの?」と聞いてみます。
すると“心”は「違うよ!斜め前に座っている人の怒り!」と教えてくれます。
「心よ!なんであの中年男性は怒っているの?だって穏やかそうだよ!」と聞いてみる。
“心”は「前に立っている女性の傘に苛立っている」と言われて、見てみると「あ!確かに濡れた傘が男性の膝に当たっている!」というのがわかります。
女性はスマホに夢中でそのことには気がついていなくて、確かに言われてみれば男性はそれで苛立っているようにも見えました。
「心よ!なんであの男性の怒りが伝わってきてるのに、私は失礼な後輩のことを思い出して怒っていると思ったの?」と質問をしてみる。
“心”は「あの怒りと同じような体験の記憶が引き出されたから」と浮かんできます。
あのおじさんの怒りが私に伝わってきて、その怒りが呼び水になって、あの怒りと同じような私の記憶が引き出された、と“心”は教えてくれた(呼び水は、あることを引き出すきっかけを作るために使うものの比喩です)。
「心よ!なんでそんな怒ってもいないのにそんなことをしなくちゃいけないの?」と質問をしてみる。だってそうでしょ!別に、部下のことを気にしているわけじゃないのに、おじさんの怒りで私が過去のことを思い出してなんで不快な気分にならないといけないの!となるんです。
“心”は「共感システムで、プラスマイナスゼロにしている」と答えます(わかりにくいっちゅうねん!)。
共感とは「あなたの辛さわかる~!」っていうやつ。
でも、普通のカウンセリングテクニックでは、「あなたの気持ちわかる」という言葉だけでは「口先の共感」で、相手の辛さって変わらないんですよね。同じような体験をした人が、自分の辛かった体験を相手の話で想起しながら「あなたの辛さがわかる」となった時に「あ!聞いてもらって楽になった!」となります。
頭で理解することは共感じゃなくて、共に感じることが本当の共感。
だから、自分が同じような体験をしたことを思い出して「ムカつく!」と同じ質の怒りを感じることが共感、ということを心が言っているんだと思うんです。
そして、心が「プラスマイナスゼロ!」と言ったのは、多分、私が過去の体験を思い出して、あのおじさんに脳内で共感することで、私の怒りが脳のネットワークでおじさんに伝わって、その共感でおじさんの怒りを打ち消している、という意味なんだと思います。
「心よ!そうなの?」と質問すると「それでいい!」と浮かんできます。
でも、なんでおじさんの怒りを打ち消すために、私が不快な記憶を思い出さなきゃいけないねん!と損をした気分に。
心に聞くと「それもおじさんから伝わってくる感覚で、なんで、私がこんな目に合わないかんの!と思っている」と言われます。
だから、それが伝わってきて、不快な気分になるのが嫌なんですって!心よ!
すると“心”は「全てを捨てればいい!」と私の中に答えを浮かべて、全てを捨て去って雲の中に浮かんでいる、あのミケランジェロの絵画のイメージが浮かんできます(多分ミケランジェロの最後の審判絵だと思います)。
その時「お~!自分のものって何一つないんだ!」ということを感じたんです。「始まりであり、終わりでもある」と頭に浮かんできた時に“心”が「あの絵を教えてあげたでしょ!」と言います(あの絵って「ちいさなことにイライラしなくなる本」(マガジンハウス)のアルファとオメガの絵のことだと思います)。
だから、心よ!わかりにくいんだって!
すると“心”から「誰を対象に“わかりにくい”って言っているの?」と浮かんできて、そして「あなたがここから自由になりたいと思っているんじゃないの?」とストレートに言われて「ギクッ!」とします。
確かに、ここで読んでくださっている読者の方や、本を読んで批判的な意見を持ってくださる方のことをイメージして「わかりにくい!」と思っていたけど、私自身は「あ!これも人のものを自分のものとしてるから苦しくなるんだ!」と気がつきます。
それらのものを全て捨てていいんだ!
もともとゼロだから。
電車の中で、全てを捨てて自由になっていく。
そんな中に取り残された人たちがちょっとかわいそうに思えてくる自分がいます。
「お~!これが“万能感”なのか!」と感じられてちょっと嬉しくなります(万能感って“神”を演じちゃって「人を救わなきゃ!」と思っちゃうやつです。この万能感で「人を助けなきゃ!」と手を出してしまうと、確実に「人に振り回されちゃう!」となって苦しくなります。)。
「捨てる」というのは「なんとかしなきゃ!」というのを捨てることなのかもしれませんね。
もともと自分のものは何一つないのだから。
頭に浮かんでくるイメージも何もかも、自分のものは何一つない、と思ったら面白いですね。
ちょっと自由になれた気がします。
24/11/08
24/10/18
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ある女性が「先生!すごいんです!私、先生におしっこをかけられる夢を見たんです!」と興奮しておっしゃった。
これだけ聞いたら「このかた、危ない人かも!」と思うでしょ。
その方は、朝になって「なんであんな変な夢を見たのかな?」と悩みながら、このブログを読んだら「あ!お水を一生懸命に飲んで結石を出そうとしていた先生の脳と繋がったんだ!」ということがわかって「なるほど!」と腑に落ちたんです(おかげさまであれから石はちゃんと出ました!やった~!ナンノコッチャ!)。
これって面白いですよね。
私たちって、夢を見たら「自分が抱いている願望とか妄想」なんて思ってしまって「自分のもの!」としていろいろ分析してしまいます。
でも、脳のネットワークで他人の脳と繋がっている、ということを知っているのと知らないのとでは、その分析の内容が全然違ってきてしまいますよね。
「夢は自分のもの」として勝手に分析してしまったらとんでもないことになってしまいます。
普段の不快な思考も同じだったりします。
電車に乗って、突然嫌なことを思い出したりします。
「ムムム!なんであいつは!」と職場で失礼なことを言われた場面を思いだしたら、大抵人は「あの場であいつにガツンと言ってやらなかったから怒りが消えないんだ!」とか「こんな終わったことをまだ引きずっちゃう器の小さな自分がいる」なんて考えてしまいます。
そんな風に分析してしまうと「怒りがちっとも消えなくて、嫌なことがどんどん浮かんできちゃう!」となってしまうんです。
ここで「いつも誰かに振り回される」が一瞬で消える方法(すばる舎)に書いてある「心に聞く!」という方法を使ってみます。
自問自答のような感じだけど、質問の冒頭に「心よ!」とつけるだけ。
ちょっと上級者だったら「心よ!私と心の間に邪魔がある?」と確認してから「ないよ!」と心からの返答があってから質問をします。
「心よ!今感じている怒りは私の怒りなの?」と聞いてみます。
すると“心”は「違うよ!斜め前に座っている人の怒り!」と教えてくれます。
「心よ!なんであの中年男性は怒っているの?だって穏やかそうだよ!」と聞いてみる。
“心”は「前に立っている女性の傘に苛立っている」と言われて、見てみると「あ!確かに濡れた傘が男性の膝に当たっている!」というのがわかります。
女性はスマホに夢中でそのことには気がついていなくて、確かに言われてみれば男性はそれで苛立っているようにも見えました。
「心よ!なんであの男性の怒りが伝わってきてるのに、私は失礼な後輩のことを思い出して怒っていると思ったの?」と質問をしてみる。
“心”は「あの怒りと同じような体験の記憶が引き出されたから」と浮かんできます。
あのおじさんの怒りが私に伝わってきて、その怒りが呼び水になって、あの怒りと同じような私の記憶が引き出された、と“心”は教えてくれた(呼び水は、あることを引き出すきっかけを作るために使うものの比喩です)。
「心よ!なんでそんな怒ってもいないのにそんなことをしなくちゃいけないの?」と質問をしてみる。だってそうでしょ!別に、部下のことを気にしているわけじゃないのに、おじさんの怒りで私が過去のことを思い出してなんで不快な気分にならないといけないの!となるんです。
“心”は「共感システムで、プラスマイナスゼロにしている」と答えます(わかりにくいっちゅうねん!)。
共感とは「あなたの辛さわかる~!」っていうやつ。
でも、普通のカウンセリングテクニックでは、「あなたの気持ちわかる」という言葉だけでは「口先の共感」で、相手の辛さって変わらないんですよね。同じような体験をした人が、自分の辛かった体験を相手の話で想起しながら「あなたの辛さがわかる」となった時に「あ!聞いてもらって楽になった!」となります。
頭で理解することは共感じゃなくて、共に感じることが本当の共感。
だから、自分が同じような体験をしたことを思い出して「ムカつく!」と同じ質の怒りを感じることが共感、ということを心が言っているんだと思うんです。
そして、心が「プラスマイナスゼロ!」と言ったのは、多分、私が過去の体験を思い出して、あのおじさんに脳内で共感することで、私の怒りが脳のネットワークでおじさんに伝わって、その共感でおじさんの怒りを打ち消している、という意味なんだと思います。
「心よ!そうなの?」と質問すると「それでいい!」と浮かんできます。
でも、なんでおじさんの怒りを打ち消すために、私が不快な記憶を思い出さなきゃいけないねん!と損をした気分に。
心に聞くと「それもおじさんから伝わってくる感覚で、なんで、私がこんな目に合わないかんの!と思っている」と言われます。
だから、それが伝わってきて、不快な気分になるのが嫌なんですって!心よ!
すると“心”は「全てを捨てればいい!」と私の中に答えを浮かべて、全てを捨て去って雲の中に浮かんでいる、あのミケランジェロの絵画のイメージが浮かんできます(多分ミケランジェロの最後の審判絵だと思います)。
その時「お~!自分のものって何一つないんだ!」ということを感じたんです。「始まりであり、終わりでもある」と頭に浮かんできた時に“心”が「あの絵を教えてあげたでしょ!」と言います(あの絵って「ちいさなことにイライラしなくなる本」(マガジンハウス)のアルファとオメガの絵のことだと思います)。
だから、心よ!わかりにくいんだって!
すると“心”から「誰を対象に“わかりにくい”って言っているの?」と浮かんできて、そして「あなたがここから自由になりたいと思っているんじゃないの?」とストレートに言われて「ギクッ!」とします。
確かに、ここで読んでくださっている読者の方や、本を読んで批判的な意見を持ってくださる方のことをイメージして「わかりにくい!」と思っていたけど、私自身は「あ!これも人のものを自分のものとしてるから苦しくなるんだ!」と気がつきます。
それらのものを全て捨てていいんだ!
もともとゼロだから。
電車の中で、全てを捨てて自由になっていく。
そんな中に取り残された人たちがちょっとかわいそうに思えてくる自分がいます。
「お~!これが“万能感”なのか!」と感じられてちょっと嬉しくなります(万能感って“神”を演じちゃって「人を救わなきゃ!」と思っちゃうやつです。この万能感で「人を助けなきゃ!」と手を出してしまうと、確実に「人に振り回されちゃう!」となって苦しくなります。)。
「捨てる」というのは「なんとかしなきゃ!」というのを捨てることなのかもしれませんね。
もともと自分のものは何一つないのだから。
頭に浮かんでくるイメージも何もかも、自分のものは何一つない、と思ったら面白いですね。
ちょっと自由になれた気がします。