03-3433-2721
〒105-0021 東京都港区東新橋2-16-3カーザベルソーレ4F
営業時間/AM10:00~PM18:00 定休日/日・祝
繊細さ
「お!車と一緒に住めるスケルトンの家だ!」とよく見たらお店でした。
狭いアパートに住んでいると、こんな開けた感じの夢のある空間に憧れます。
「いいな~!」
罪悪感も恥もこれまで「自分の育った環境が!」とか「自分が繊細すぎるから!」なんてずっと思ってきました。
「あんたはナイーブだから」といわれて「そうだよなー!自分はちょっとしたことですぐに傷ついちゃうもんなー!」とずっと悩んできましたが「なんだ!母親が死産したことが罪悪感に影響してたんじゃん!」と考えたらなんかものすごく軽くなっちゃいます。
恥の感覚も、それ関連のインシデントから性腺刺激ホルモン系の暴走が起きるようになって、と考えたら「なるほど~!」となります。実際に遺伝子のコードを唱えて見ると「あれ?そんなに恥の感覚が強くないかも?」とこれまで「恥ずかしい!」と思って躊躇して出来なかったことが自然と出来るようになってしまうから興味深いです。
短期精神療法的には「自分の中に原因を作らないで外の問題に置き換える」“外在化テクニック”と判断します。
「そんなに罪悪感を感じてしまうのはおかしい!」と自分を責めるのを止めさせて、免疫が暴走しているから罪悪感が強く感じられる、と「あなたの考え方のせいではありませんよ!」としている所にこの外在化テクニックの意味がある、とします。
でも、興味深いのは罪悪感でも遺伝子のコードが66個あって、その人に合ったコードじゃないと罪悪感がちっとも軽減されない、という現象です。
「自分を責めない」という外在化だったら「恥は性腺刺激ホルモン系の遺伝子のせい」とわかっただけでも軽減するはずなのですが、それがわかった所で「恥まみれ」という状態は変わりませんでした。
「GNRH1の還元」と唱えてみた時に初めて「あ!これが恥から解放された世界なんだ~!」と一般の人たちが見ている世界を垣間見ることが出来て感動します。
「これだからみんなそんなにがっついていないんだ~!」
「これだからみんなそんなに後ろめたい人生って思っていないんだ~!」とどんどん軽くなっていきます。
理論的にはわかっているつもりだったのに、実際に唱える前と後では全然見えている世界が違っていた、というのは我ながら滑稽だなと思いました。
もっと興味深いのは、唱えているうちに、見えていた世界があんなに新鮮だったのに、すぐに「当たり前」になってしまい「え?自分って何が変わったの?」とすぐにわからなくなってしまいます。
でも、あんなに恥ずかしくて「嫌だな!」と思って自分で掛けられなかった電話を躊躇無くかけている自分がいます。
本来の自分に戻っているだけだから「変化」なんて感じない。
だって、今までの自分が本来の自分じゃなかっただけだから「だから、何か?」と反応している自分が面白くなってきました。
24/11/08
24/10/18
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「お!車と一緒に住めるスケルトンの家だ!」とよく見たらお店でした。
狭いアパートに住んでいると、こんな開けた感じの夢のある空間に憧れます。
「いいな~!」
罪悪感も恥もこれまで「自分の育った環境が!」とか「自分が繊細すぎるから!」なんてずっと思ってきました。
「あんたはナイーブだから」といわれて「そうだよなー!自分はちょっとしたことですぐに傷ついちゃうもんなー!」とずっと悩んできましたが「なんだ!母親が死産したことが罪悪感に影響してたんじゃん!」と考えたらなんかものすごく軽くなっちゃいます。
恥の感覚も、それ関連のインシデントから性腺刺激ホルモン系の暴走が起きるようになって、と考えたら「なるほど~!」となります。実際に遺伝子のコードを唱えて見ると「あれ?そんなに恥の感覚が強くないかも?」とこれまで「恥ずかしい!」と思って躊躇して出来なかったことが自然と出来るようになってしまうから興味深いです。
短期精神療法的には「自分の中に原因を作らないで外の問題に置き換える」“外在化テクニック”と判断します。
「そんなに罪悪感を感じてしまうのはおかしい!」と自分を責めるのを止めさせて、免疫が暴走しているから罪悪感が強く感じられる、と「あなたの考え方のせいではありませんよ!」としている所にこの外在化テクニックの意味がある、とします。
でも、興味深いのは罪悪感でも遺伝子のコードが66個あって、その人に合ったコードじゃないと罪悪感がちっとも軽減されない、という現象です。
「自分を責めない」という外在化だったら「恥は性腺刺激ホルモン系の遺伝子のせい」とわかっただけでも軽減するはずなのですが、それがわかった所で「恥まみれ」という状態は変わりませんでした。
「GNRH1の還元」と唱えてみた時に初めて「あ!これが恥から解放された世界なんだ~!」と一般の人たちが見ている世界を垣間見ることが出来て感動します。
「これだからみんなそんなにがっついていないんだ~!」
「これだからみんなそんなに後ろめたい人生って思っていないんだ~!」とどんどん軽くなっていきます。
理論的にはわかっているつもりだったのに、実際に唱える前と後では全然見えている世界が違っていた、というのは我ながら滑稽だなと思いました。
もっと興味深いのは、唱えているうちに、見えていた世界があんなに新鮮だったのに、すぐに「当たり前」になってしまい「え?自分って何が変わったの?」とすぐにわからなくなってしまいます。
でも、あんなに恥ずかしくて「嫌だな!」と思って自分で掛けられなかった電話を躊躇無くかけている自分がいます。
本来の自分に戻っているだけだから「変化」なんて感じない。
だって、今までの自分が本来の自分じゃなかっただけだから「だから、何か?」と反応している自分が面白くなってきました。