取り越し苦労は言語性知能の暴走

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取り越し苦労は言語性知能の暴走

大嶋信頼ブログ 緊張しちゃう人たち

2016/06/21 取り越し苦労は言語性知能の暴走

人と会話をしていて、自分が発言したら「しら~!」っとなってしまう。

みんなに話を合わせて発言したはずなのに、なんか的が外れてしまっている。

 

何が間違っていたのだろう?と考える。

 

ジョギングから帰ってきて、アパートの階段を上っていたら、すれ違ったおばちゃんから「蒸し暑いですね~!今日は!」とさわやかに声を掛けられた。

 

その時に「結構、気持ちいいですよ!」と答えてしまって「しまった!」と心の中で思う。

汗びっしょりになっている私を見て、おばちゃんは怪訝な顔をしながら「そ~お~?」とそこから会話が続かなくなってしまう。

 

言語性知能が高いと、過去の体験からありとあらゆるシミュレーションをしてしまう。

「これを言ったらこうなる」、「あれを言ったらこうなる」とその言動をした結果どうなるのかを何通りも想定する。そして相手の気持ちも勝手に想像してしまう。

「これを言ったら相手からおかしな人と思われるかもしれない」とか「馬鹿にされるかも?」や「場の空気を読めない人って思われるかも?」っていろいろ考えてしまう。

 

おばちゃんに話しかけられて、会話が続くような返答ができなかった私は言語性知能が低いのか?ということになる。

だって、ちゃんと想定しているのだったら、会話が続くような返答ができるはず。

 

でも、問題は、言語性よりも動作性知能にあるような気がしている。

動作性知能は、言語性がいろんなシミュレーションをした情報を時間軸で整理する。

未来に起きるかもしれないことは未来、そして、過去のことは過去だから、”今”は何も心配することが無いよね!と想定したデータを脳内でちゃんと整理してくれる。

 

整理されたら”今”だけになるから未来のことで取り越し苦労することがなくなる。

過去のことで後悔する必要が無くなる。

 

動作性知能と言語性のバランスが取れていたら、相手との関係性で言語性が想定する情報を整理する。

「おばちゃんに嫌われちゃうかもしれない!」というのがまるで恋人から捨てられてしまうかもしれない、というようなパニックになってしまうのは明らかにおかしい。

「他人は他人で、自分は自分でしょ!」と動作性知能によって関係性に合わせて情報が整理されると他人の気持ちがそんなに気にならない。だから、パニックにならないで冷静に対処することができる。

 

言語性知能と動作性知能のバランスが崩れていると、言語性知能が生み出したたくさんのシミュレーションの情報を動作性が整理することができない。だから、未来に起きるかもしれないことが”今”起きている感覚になってパニックになる。

おばちゃんとの会話では、話しかけられた時点ですでに「自分が返答するとしらけちゃう~!」とパニックになっているのは、動作性の処理が追いついていなくて、未来のことが”今”起きてるような感覚になっているから。

 

おばちゃんの「何この人、変!」と思われたのがまるで恋人から嫌われた時のような感覚になってしまうのは、言語性知能が暴走して、動作性知能がこの関係性で情報を適切に整理していないから。

 

動作性知能と言語性知能のバランスに関連している遺伝子のコードを唱えてみると面白いことが起きる。

 

今まで、人に話しかけられるかもしれないシチュエーションでドキドキしていた。

 

それが無くなる。

 

動作性知能が適切に言語性のシミュレーションの情報を整理するので、取り越し苦労が無くなり”今”を生きられる。

話しかけられても、相手の感情がまるで自分のように感じられなくなるのは動作性が関係性に合わせてシミュレーションを整理しているから。だから、パニックにならない。

 

「今日は蒸し暑いですね~!」と言われたら、何も考えずに「本当に蒸し暑い季節になりましたね~!」と返すことができる。

 

あれ?何も考えないで発言できてる。

 

ドキドキしない!

 

場の空気がしらけない!というのがとっても面白い。

 

発言した後で後悔することも動作性が働いていたら起きない。

 

「過去は過去」ってちゃんと情報を整理してくれるから、何度も反芻して反省しなくても、自動的に学習して次回からは適切に発言することができちゃう。

 

今までは、あんなに反省しても同じ失敗を繰り返していたのに「あの失敗が無い!」なんて感動もなくなる。

 

なぜなら「過去は過去」になり”今”に生きるようになるから。

 

これが自由に生きる、ってことなのかもしれない。

何も考えなくなった姿を見て、フッとそんなことを考える。

 

 

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