パンで生きる?

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パンで生きる?

大嶋信頼ブログ 緊張しちゃう人たち

2016/05/24 パンで生きる?


「人はパンのみで生きるのでは非ず」というのは、有名な本の中に出てくる。
イエスが荒野で40日40夜断食して、空腹になった時に、試みる者がやってきて「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」と言った。

 

その時にイエスは「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」と書いてある、と答えた。

 

この試みる者とイエスのやり取りは非常に興味深い。

 

この話をもとに「人は何で生きるのか」という問いを再度考えてみる。

 

私がこの話からトルストイのタイトルを見て感じたのは、パンのように人が作ったものだけじゃなくて、それ以外で生きる、ということになる。

 

「パンを作る人がいないと生きられない」というように「人は人に依存していないと生きられない」ということから「人から失望されて見捨てられてしまったら死んでしまう」という考えになる。

 

「人が作った物だけじゃなくて、それ以外で生きる」を対人関係に当てはめてみると、目の前にいる人の反応は、単なるホワイトボードに人が書いた黒い小さなドットだったら、その小さなドット以外となるとホワイトボードに広がる白い部分、もしくはそのドット以外の部屋全体、さらには世界から、宇宙まで広がっていく。

 

無意識さんの本にも書いたが、意識はホワイトボードに書いてある黒いドットで、それ以外が無意識さんである。

 

目の前の人の反応は、小さな小さなドットで、それ以外のすべてで自分は生きている、と「人は何で生きるのか」というタイトルから気が付いた。

 

目の前の人の反応以外で生きるって、ちょっと面白い思考なのかもしれない。

 

でも、そこにはものすごい自由が広がっていた。

 

無限の自由がそこにある。

 

「人は何で生きるのか」という言葉は奥深い。

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